ヴァイオリンを創る〜♪

mukku38682010-11-24

国道141号線を走る為に 清里へ向かって  《 八ヶ岳高原大橋 》 を通過する時に 様々な条件が重なると 朝【 真ん丸の虹 】が、見られます〜☆  今日の風景は 八ヶ岳が、麓と 頭をのぞかせた まるで マフラーをした様な雲が、掛かっていました。    野辺山まで 上がると 標高が高いので 朝8時でも 氷点下…*  オマケに 先程 眺めていた雲の中へ入り込んだ様で 雪が降り出しそうな霧の中…。
峠を下って 佐久穂町へ入り 車を走らせると 真っ白な帽子をかぶった 《 浅間山 》の姿が、青空の中 朝日に輝いていました!! 
調律に伺ったお宅は 浅間山も眺められる 日本の田園風景の古い集落を抜けた見晴らしの良い小高い所に建っています。
明後日は 素敵なホームコンサートが、企画されています〜♪   少々の修理を伴う作業内容でしたので 1日ゆっくりと お時間を頂きながら お邪魔をしました。


お宅は ご主人のヴァイオリン工房【 アトリエ・ラーム 】を兼ねられています。  昨年 お伺いした時に製作中だった楽器は 完成されたご様子で 新作を手掛けられ始めて居られました。  色々とお話を伺えましたし 作業の様子も拝見させて頂きました。
シンプルな構造のヴァイオリンは 木目の選定と使い方や 削り方や ニスの塗り方等の微妙な加減で 楽器の仕上りが、大きく左右されます。


300年程前に作られたと言われる名器たちの その《 ニス 》 は 未だに科学的にも解明出来ない 様々な動植物から抽出されたものが、記録にも残されずに 調合されたそうです。   そして かつて ピアノが 《 半鉄骨 》 と呼ばれる 現代の様な骨組み全てが、鋳造などで作られる金属では無く 木製の骨組みも使われていた頃の様に 弦を強い力で張る事が出来ない楽器として 作られていました。   産業革命などの時代の流れと共に 技術が進歩して ピアノの弦の張力(テンション)が、上げられる様になると ヴァイオリンにも 同様なピッチ(音程)が、求められる等 様々な要因から 《 ネック 》 と呼ばれる 指で弦を抑える箇所を長くしつつ 改造 されたものが、 現代の『 名器の音 』として コンサートや CDで聴く事が出来る音です。 

仕上がるまで どの様な音を響かせてくれるか!?分からないヴァイオリンを創る事は 私も ピアノの調律を学び始めた時に とても魅力を感じました。  ピアノを作る為には 技術以前に 可なりの設備を必要とします。  しかしヴァイオリンは 工具と僅かのスペースと 師との出逢い次第では 何とかなりそうな!? 楽器としては兎も角 形には成るでしょう。  刃物を研ぐ事も好きですし 工具を探したり 作ったりする事も好きですし 自分の楽器を自らの手で 創り出す〜。 「 創りながら 弾く事も 同時に学びなおしたいな〜♪ 」  以来、「弾ける!」 と言える程まで 相変わらず 音を出す事が、出来ませんし 全く楽器を触らないまま 何年が過ぎた事か…。  それでも弾く立場とは違った視点で 楽器を見始めました。
ピアノの製造を学んでいくと ヴァイオリンの【 表板 】の《 スプルース 》(松の仲間)の細かく綺麗に通った 木目や 【 裏板 】の《 楓 》の虎杢(とらもく)の 美しさと 響きの関わりは 共通していました。  
『 調律師として 1台1台のピアノを響かせると共に 演奏者の方々が、弾き易い様に そして 人の声や 他の楽器とも ピアノが共鳴し合って 場を共にする方々にとって 心地好い時間と 空間を 創り出す事 』 が、今 私がすべき仕事 だと想って 腕を磨く為にも 好奇心を失わない様に 何事も体験!と思っています。  
しかしながら 一度は ヴァイオリンを 創ってみたいです!!    チャンスを待つのではなく 自分で掴むものですね。 何年先になったとしても〜♪

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帰路、前方に見える 浅間山が、鮮やかに表情を変えていきました。  「 車を止めて 写真を撮りたい!! 」と 場所を探している内に 刻々と変化してしまい この1枚を 最後に ゆっくりと闇の中へと吸い込まれていきました。

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☆ 速報 ☆ 
アジア大会 レスリング・フリースタイルで 韮崎工業高校レスリング部OB(現・自衛隊体育学校) 米満(よねみつ)達弘 が、 16年振りの 金メダル 獲得☆
今年は 監督Jr.も アジア大会・カデットで 日本人初の決勝進出(5年振り日本人男子メダリスト)や 息子の国体3位入賞など Miracle Year ☆〃