再び 放浪する調律師 〜築300年の【 安藤家住宅 】

ブログにご来場下さる皆さま 
些細な事から消えてしまっていたコメント欄が、途絶えてしまった 12月 16日分より復活しましたので 改めまして 宜しくお願い致します。  しかしながら 折角頂きました☆★と 上部に有る吹出しのコメント欄へ 書き込みをして下さった皆さま 大変申し訳無い事に 消えてしまいました。    ☆★と コメントを下さった皆さま、申し訳有りません。  しかしながら 今後とも懲りずに 宜しくお願い致します。

 韮崎市の 【 わに塚の桜 】です。    様々なテレビドラマにも 登場している 田圃の真ん中に立つ 巨木です。  花が咲き始めると 遠方より 大勢の方々が カメラを持って 訪れますが、今のシーズンは 静かに立っています。   そんな風景が、私は好きです。
《 韮崎 》と言う地名は 八ヶ岳の噴火で 流れ出た熔岩流の大地を 釜無川が 侵食させて造り出した 《 ニラ 》の葉先の様に 細長く切り立った崖になっている所の先に在ることから 呼ばれる様になったそうです。
この【 わに塚の桜 】の直ぐ近くには、甲府武田信玄屋敷跡に 大正時代に建てられた 《 武田神社 》よりも ずっと古い 《 武田八幡宮 》があります。
  YAMAHA のアップライトを 調律して来ました。 2人のお子さんの想い出のピアノです。 お子さん方は 自衛官となって 家を離れられています。  この数年は 眠ってしまっているそうですが、 お子さん方が 小さな頃から 一生懸命に弾いてこられた様で ちょっと弾いてから調律をすると 跳ねる様に 元気な音が 響きだしました!
 外観は 洋風の感じのお宅ですが、大黒柱に 黒檀を使われてあったり お宅の細部に 工夫された 職人技が随所に見られて 以前 ご主人様が、手掛けられた物だそうです。  玄関には 立派な 龍のデザインされた 大きなガラスの彫刻画が、掛けられてありました。 デザインから 額の製作までを ご主人がなさった作品でした!


  穏やかな暖かいお天気で 思わず又、 足を延ばして  【 安藤家住宅 】に 立寄りました。 江戸の 宝永5年( 1708年 )の建造物で 火事にも遭わずに 現存しています。
受付の女性の方が 声を掛けて下さり 『 折角ですから 此方からではなくて あちらの お玄関から お上がりください。』と 勧めて下さいました。
  地元の名主で 役人を 務めていた家柄だそうですが、 武家屋敷の様な 立派な中門をくぐって 式台付きの玄関を作る事を許されていた家柄だったそうです。  この玄関は 身分の高い客人と 家長のみが使用したそうです。
 立派な萱葺き屋根は 七千万円を投じて 数年前に葺き替えられたそうです。    大きな屋根を支える為に 上質の竹が、籠を編むかの様に 立派な縄で組まれていました。  中門から伸びる塀には 雲飾りが 嵌め込まれていましたが、継ぎ目は無く 一つ一つが 1枚の板から 削り出された 彫像でした。      その事を伺うと 宮大工の様な棟梁と 職人さん達が、携ったそうです。    此処から直ぐの 国道52号線は 《 身延みち 》とも呼ばれており 日蓮宗総本山の 《 身延山 》へと繋がっていて その向こうには 南部町( 東北地方の 南部鉄 で有名な地域へ かつて 山梨の南部から 移り住んだ人々が多いそうです。)を 通過すると 静岡・駿河へと続きます。  その為か この様な 職人の技術を 惜しみなく取り入れる事が 出来たのでしょう。   様々な箇所に使われている 無垢板や 細工などの狂いが、非常に少ない事も 見事でした! 
 梁には 立派な 栗の木が使われており 更に上部へと 木組みがされている構造でした。  中座敷と 奥座敷の境の 欄間には 石造りの作品が、ありました。
 外塀は 美しく張り巡らされ そこにも瓦が 乗せられていましたが、その1枚1枚への模様を彫り込まれてから焼かれた 贅沢なものでした。   近くの地域には 瓦の名産地が、あります。
 茶室も 工夫されたユニークな装飾が施されていたり 池には 舟を浮かべて 歌会を 楽しまれたそうです。
庭の中央には 大きな大きな 黒松が、元気に 枝と 根を伸ばしていました!  推定樹齢350年だそうです。