お正月気分も 終わりです。


いよいよ明日から 始業日の娘は 毎年の事ながら 宿題の山に 押し潰されそうになりながら 机に かじり付いていて  ちょっと 可哀想だな… と 思いつつも 自分の意思で 高校になってクラス替えもあった事もあり クラスメイト全員に 手描きのイラストの年賀状を 相手のイメージに合わせて掻き分けながら 年末は 時間を過していたので 仕方が無いかな〜!?とも 思ってみたり。
毎年 子供達の レスリングの 練習などの関係で 始業日も余り関係無く 三が日明け早々に 登校を始めるのですが、 今年は 息子が 渡米中なので ちょっとリズムが 狂っていて いつもは忘れている 《 七草粥 》を 食べたいな〜!!と 覚えていてました。    但し お茶漬けは平気ながら お粥や 雑炊のような物が苦手な 主人と娘なので 悩んだ末に〜

1日早くの 《 七草ほうとう 》 を 作ってしまいました。
いつもの ほうとうよりは シンプルな野菜の具材と ビタミンが豊富な 豚肉を入れて 七草 を 細かく刻んで 舞茸と一緒に 煮込みました。  味付けは 味噌は隠し味程度にして 醤油味で 整えました。    
土鍋を出すと NOЁL が、『 出汁の 鰹節、チョウダイ!! 』と 出汁を取る前の 荒削りを おやつに食べます。  勿論、出汁をとった後の 鰹節も ちゃんと食べます。



今年も 沢山の お年賀状が、届きました〜☆  年賀状で 近況報告をしつつ 細く長くお付合いの途絶えない人達も 少なくは無いので 年末年始に 頑張って 500枚弱の葉書を書いた甲斐が、 あります。
息子が、中学校時代に 大変お世話になった 名古屋にいらっしゃると思っていた方からの 年賀状が、 金沢から届きました!    『 転勤で 昨年 出身地でもある 金沢に来ましたが、 こちらへ来られる 春の進学の時には また異動の可能性があり 擦違いとなりそうです。 』との事。   名古屋や 金沢が、遠い所!と 思っていたこれまでよりも 更に遠くへと異動されれば もっと会うことが出来なくなってしまいますね。  何とか、年度が変る前に お目に掛かれれば!! と 考えています。

このブログを始めて 金沢の方とも 知り合うことが出来ました。  何だか、 不思議なご縁のある土地だと 思いながら 【 武士の家計簿 】を楽しく 読んでいる最中(忙しくなっていたので 珍しく読み終えていません… )ですが、 ふと 専門書の山の中から 五木寛之・著 【 ステッセルのピアノ 】 が 出てきました。      日露戦争時代の 乃木将軍と ロシアのステッセル将軍の 深い親交の名残の 一つに 乃木将軍へ送られた愛馬となった 《 寿号 》(「コトブキ」では無く ステッセルの「ス」を掛けて「すごう」と呼んだそうです。) と 共に送られたピアノと言われている 《 ステッセルのピアノ 》が、金沢にあります。    全国各地に その名のピアノは あるのですが、 以前ブログでもお話をした事がある 昔の艦隊には ピアノが乗せられていて それらを何らかの形で譲り受けた際に その様な呼び名が付いたものもあるようです。   
乃木将軍と言うと 馬術をやってきている主人にとっては 軍用馬の話題が、直ぐに出てくる人物ですが 学習院の校長を命ぜられた際には 幼かった 昭和天皇と共に 馬に乗って 登下校をされていた エピソードは 有名です。 
昨年 六本木ヒルズを眺めながら 国立新美術館へ行った時に 乃木坂のコインパーキングに 車を停めて 周辺を歩いたのですが、 時間が無くて 住居跡地の前を通過したのみ。  乃木神社は 明治天皇が、ご自分の命が尽きるより先に 切腹などの自害を許さず お隠れになった時に 夫人と共に その生涯を終えたことなどから 乃木夫妻を祭った神社です。  乃木将軍の殉職を知った ステッセルは 敬意を払っての 行動をされたそうです。  
もう 随分と前になりますが、 金沢の 様々な力を結集させて この ピアノは 大々的に 修理をされました。  昔のピアノは 漆や カシューで 外装を塗られていたこともあって 輪島塗で 塗装を直したことを 記憶しています。   チャンスがあれば この 《 ステッセルのピアノ 》 見せて頂いて 弾いてみたいな〜♪と その当時も 思ったものですが、 改めて 見るだけでも好いから〜 ちょっとだけ 音 を出すだけで好いから〜 弾いてみたい気持ちで いっぱいです。
近くて 遠くなりつつある 日本の歴史の跡を 今度は 金沢でも  また、改めて 東京でも 触れて往きたいな〜!と 思うこの頃です。

ステッセルのピアノ (文春文庫)

ステッセルのピアノ (文春文庫)