石川県の《土地の言葉》に ちょっとだけ触れました♪


朝4:30過ぎの −3℃の真っ暗な中を 『 今日は 暖かいね! 』 と 石川県へ向けて  家を出発しました。中央道を走って 岡谷を過ぎた頃から  少しずつ 窓の外の風景が変わり始めました!

長野道を抜けて 妙高の辺りから 新潟県に入ると  すっかり雪国の風景に鳴りました。   北陸道に入ると 道の両側に残っている 雪の量は 更に増えました。  高速の近くに 民家などが無い場所では 雪をダンプなどで運ばずに 吹き飛ばして積み上げていくので その壁の高さは 『 オレの目線よりも ずっと高い… 視界を塞がれるのは ムカつく…。 』 と 身長180cmを超える息子が言いました。    

多くの人は 人混みの中でも 回り中が壁になることを経験してきているものの 彼ら長身の人間は 賑わう 沖縄の国際通り でさえ  偶々、同じ時期に行っていた 他校のレスリング部員同士で 『 お〜い! 』 と 見つけられる位に  日頃、 周りを囲まれる経験の無いことを 想い出しました。

何年か前に 山梨県内でも 大雪に見舞われて 喜んだのは 人口雪のスキー場関係者でした!   しかしながら スキー場の 駐車場は 何とかスタッフで 除雪は出来ても  豪雪指定を受けていない 県内の 貧弱な除雪設備では  そこへ行くまでの道のりの 除雪が間に合わなくて  結局、数日間の かき入れ時を棒に振った事がありました。

サービスエリアの パーキングスペースも 除雪をしなくては トイレも使えないから 大変だよね〜! と 端に寄せられて残っていた 雪の山を崩して ダンプで運ぶ作業を 眺めていると  3回ほど バケットで 雪をすくい上げただけで ダンプが 一杯になって仕舞うものの  巨大な重機たちよりも その雪の山は大きくて…。

  

春から 石川県内で 生活を始める 息子のアパートの 予め出しておいた 希望の条件の近い 数件を 見せて頂いて  賃貸料金の事や 設備の事や 万が一、今年の様な 大雪に見舞われた場合でも 通学できそうな条件であるか!?等を 考えて  結局 お話を伺った中で 『 自分の息子も 東京の大学に出しているので 何かあった時には 病院にも連れて行って上げられる様に メールでも子供達と連絡を取り合える様にしていて  時々は 「ご飯のおかず 欲しい人は 取りにおいで!」 と 送信すると みんなが顔を出してくれるんですよ! 』と 仰って下さった 大家さん御夫妻のアパートに お世話になる事に決めました。    試合・合宿遠征で 何かと 気転が利く様にはなっている息子ですが、 これから数年間を 生活するとなると  ご自分の息子さんの様に 思って下さる御夫妻が、近所に居てくださる事は 心強いものです!
今日の 一番の仕事を やり遂げると  急にお腹が空き始めました。   『 何か、「此方ならでは!」の 物が食べたいね〜!! 』 と 車を走らせている内に 『 トレイン寿司屋が在ったよ! 』と 通り掛った 回転寿司に入りました。   “トレイン寿司” とは 息子が、試合で訪れた シアトル近郊の 行く先々で 出合った人達と 日本の食文化の話をしていた時に 多くの人たちが 回転寿司についての質問や 「アメリカにも有るんだよ!」と 話をしてくれた時に 『 繋がって回ってくるので 列車に例えて そう呼ぶらしいよ! 』と言う 土産話からです。   土地の旬の味が、とても新鮮で 美味しく頂きました!  お皿の色を気にしながら食べ始めたものの 結局は 『 此処じゃなければ食べられないもの! 』と お店の方の おススメの海の幸を 堪能してきました!!  

引越しの際に 必要なものを買いに行くであろう 大型スーパーや 家具屋さんにも立寄ったのですが、 駅前までは 行く予定が無かったので ちょっとしたお土産は無いかな!? と ご贈答用のお菓子売り場に行ってみると なんとも綺麗な 籠に盛られたお菓子が、置かれていたので 『 すみません。  このお菓子は どの様な物ですか? 』 と お店の方に伺うと 『 お雛様用の お菓子でね、 砂糖で 出来ているから 食べると言うよりは 崩して料理なんかに 入れて使うのよ。  土地の物だから お嫁に行った人にも 発送したりするわよ! 』 との事でした。    結局 そこでは 《 落雁 》 を 買ったのですが、 売り場のおばちゃんは 『 本当の金沢の落雁の味はね、 駅前に行けば買える お店の物が、 しっとりとして 金沢の味なのよ!! 』と 教えて下さいました。   色々なお店の物が有っても ご当地ご自慢の味が有る土地柄は ある意味で 羨ましく感じました〜♪

今年度、 何度か訪れた石川県でしたが、 多くの場所での会話は 標準語と呼ばれる 東京の言葉が、交わされて居ましたが、 今回は 緊張が解れて来てから 自然に出てきた 《 土地の言葉 》 と  お菓子屋さんのおばちゃんの ご当地味自慢の時に聞けた 《 土地の言葉 》 と 別れを告げて  再び 北陸道を 帰路へと 走り始めました。   雪の壁が、高くて 日頃は見える 田園の中の 屋敷森に囲まれた 家の様子が、 時々は見えて  春になって 田に水が張られて 田植えがされた時の頃を思いました。

昔むかし 新潟生まれの母が 『 雪が多い時は 二階の窓から出入りしたり 雪の階段を掘り下げて 玄関まで下ったりしたものよ。』と 話をしていたことを 思い出しながら  大きなスキー場へ向かう時以来の 久し振りに見る 雪の壁に覆われた 高速道路の旅を楽しみました。
数日前に 太平洋側の 遠州灘の海を眺めて 今日は日本海の海を眺めました。