春です〜♪ 


この写真も 早いもので 3年前 のものとなりました 
50回目の卒業式の後 2回の卒業式と共に 息子の通った中学校は 幕を下ろしました。   色々な事があって JR を使って 自分の足で通える この中学校に 越境入学をしました。  小学校では とても素敵な校長先生から とんでもない校長に代わった途端に 『 校風とは これほどまでに変わるのか!!?? 』 と 驚くような  イジメに合い始め 助けてくれる先生方までもが、 組織の締め付けに合う様な レベルの低い 教育機関とはとても言えない児童相談所の 職員のマニュアル的な それに反する幼稚な行為までに至り 県義務教育課も直ぐには動かず、 結局 県庁のクレームセンターの様な 課の皆さんに メスを入れて頂く始末でした。  受け入れて下さった 校長先生は マラソンを趣味とされる 英語科の先生で  20年程前に この中学校に赴任経験がありました。  校長として 再赴任されるまでの間に ドイツの日本人学校で 教鞭をとられた事も有る方で 『 コミュニケーションを とりましょう〜! 』 と 色々な試みをなさっておられました。   小学校で 体調を崩すまでの イジメに合って 更には関係機関の多くの大人達に 裏切られる様な行為をされて  その中から数少ない ちゃんとした仕事を 肩書きに捕われずに 人として行う大人達との出逢いがあった経験をしていましたので 校長先生とは 直ぐに 親しくなり 可愛がって頂きました。   現場で お世話になった 1年間でしたが、 その間に 息子は 《 自分らしさ 》に 磨きを掛けました。   しかしながら その校長先生も 異動なさると またまた同じ様な事が起こり始め 『 臭いものには蓋! 』をして  『 長いものに巻かれろ! 』 と言う 暗黙の了解の空気が流れ始め  自分がイジメに合わない為に JR で 通う 息子をターゲットとし始める行為が、中学校でも始まりました。 

こんなに 素敵な 時間を刻んだ 校舎に通う子供達が、 ジジババ 父母の近所の人間関係を引き摺ったまま 同じ力関係を この美しい校舎で 営みつつありました。  その人間関係の中には 息子のポジションは そもそも無かったのです。   いきなり現れたキャラクターに 学校全体が、戸惑ったのです。
『 出来るもんならやってみろ! 』 と 捨て台詞を吐いた 新しい校長の 思考が判りましたので  子供を守る親として  そして 『 イジメをいけない事だよ! 』 と 連日の自殺者続出の報道にも関わらずに 教えることが出来る 大人が居ない教育の現場を恐ろしく思い  出来ることを 実際に 小学校の時同様に  『 親の背中を見て子供は育つ! 』と 日頃から言ってくれるので 行動を起こしました。   卒業式までが、 本当に 戦いの 緊張の日々でした。   しかし その中で 息子は 人として 多くのことを学び 多くの出逢いに恵まれました。
卒業式では 一番最後に 卒業生一同が、 壇上で歌を歌って 2列になって 会場を後にします。   歌い終わってから 司会の先生が 一拍の呼吸を置いた瞬間に 『 先生、好いでしょうか〜!? 』 と言う 大きな声は響きました。  49年間、1回も その様な事は無かった筈です。  再度 『 (担任の)OO先生、 好いでしょうか!? 』 と 大きな声で 喋っていた声は 正しく息子でした。   特に ビックリした 校長と 教頭は 『 どうぞ!! 』 と 同時に 最敬礼をしていました。   息子は 振り向いて 壇上に整列しているクラスメイト達に 『 良いか! みんな、ちゃんと言うんだぞ! 』 と 一言いうと  正面を向いて  『 3年間 有り難う御座いました!! 』 と 大きく ゆっくりとした声で 言いました。   すると ほぼ全員の生徒が倣って 『 有り難う御座いました!! 』 と 大きな声で言いながら 一斉に 美しく 頭を下げたのです。
式の 出席者全員が、 一瞬 息を呑みました。   が、 直に 『 ブ〜!!』 と吹出す音と共に 『 ヒデ、 やっちゃったよ〜!! 』 と 大笑いをしながら 大きな拍手をして下さる 民生委員の方がありました。   息子は 中学校の在る地域には住んではいません。  しかしながら 小学校の時の体験を書いた作文が、 人権作文コンクールで 入賞をして 息子の為に 民生委員さん達が 表彰式をする為に 学校を訪れて下さっていましたし  人権標語コンクールや 税金の標語コンクールでも 入選をしており  又 長野県のPTA連合主催の オーストラリアステイでも作文が選考を通り 学校の代表として 参加していましたので  地域の方々には 常に見守って頂いていました。  息子のイジメの問題が発覚した時も 直ぐに 多くの方々が、 開かれた学校を目指して 学校に関わって下さいました。   その様に お世話になった 《 来賓 》 の 方々の お顔を壇上から見たら  「 先生方や 両親だけではなく 出席者全員に お礼を言わねば! 」と 瞬時に思ったようです。
誰一人として 想定には無かった事態に巻き込まれて 優等生を演じながら イジメの主犯として 学年を牛耳っていた生徒数名が 立ち尽くして居た他、 1度の練習も無く 一斉に美しく 声を合わせて 頭を下げる 卒業生の姿は 彼らの目にも 焼きついている筈です。   深々と 頭を下げて 顔を上げた 生徒達は 一斉に 声を上げて 泣き出しました。  みんなが、 言葉に出来ない 沢山の事を抱えながら 3年間を過した日々が在ったのですから。
高校に 入学して3日目に 『 俺の この5年間って 何だったんだろう!? 』 と 楽しそうに笑いながら 思わずもらした息子です。   その高校も 間も無く卒業をします。  校内で 最も公欠が多いながら 皆勤・精勤で 過した3年間です。

毎年、 美しい 八ヶ岳や 南アルプスとの風景と共に咲く 《 桜 》 を 眺めるために 県内外の沢山の方々が、 この学校に 足を運ばれています。
今年の この桜の見ることは無く 家を出ます。   彼にとっては 4年間の 合宿生活に入る様なものなのかな〜!? と 思いながら 夕食のカレーを食べていると 『 帰ってきた時は お客さん用の食器を使うから 箸と 茶碗は 持って行くよ、 勿体無いから! 』 と。   《 物づくり 》を始める人間として 自分の愛用の物を大切にすることは 職人の私としては 嬉しい言葉でした。
そして 息子の旅立ちを これまでに出逢った方々から 祝福をして頂けることにも 嬉しく思い  お付き合いが、途絶える事無く 近況報告が出来ることを 感謝をしています。

息子の通った中学校は NHKテレビ小説【 かりん 】 や ドラマ【 いま、会いにゆきます 】等の ロケ地です。  【 いま、会いにゆきます 】は エキストラで 参加しました。  ドラマも 映画も ご近所で 撮影をされています。  
近々に この学校の校舎は 取り壊される方向に有ると聞いています。 残念なことですが、 それも時代の流れとして 受け止めなくては鳴らないのでしょうか!?

いま、会いにゆきます DVD-BOX

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