耳の好さと 社交的なのは 誰譲り!?

ふと 気がつくと  羽田空港から 飛行機で飛んだことの無い娘です。   中学校入学前から 『 お兄ちゃんが、オーストラリアに行ったんだから カナダへ行く!! 』 と 積立をしてきました。
 
息子が、 オーストラリアへ行ったのは 5年前の 中学2年の時ですが、 ダメ元 で 作文を書いて PTA連合へ 送ったところ  審査に通過して 長野県選抜メンバーに選ばれました。   その頃の息子は ネイティブの英語教師達が 『 お母さん! 彼は僕の友達です!! 』 と 言って下さる位に 諸外国から来た先生方が好みそうな話題を考えて 英語と日本語で 日常的に会話していた様で  ずっと イジメに合っていながらにして 自分の居場所をちゃんと 善き理解者たちを見つけて 作っていました。   小さな頃から 清泉寮の 国際部の 諸外国から集った職員達の中で過す事も多かったので  グループ行動の中でも 個人主義で 互いに個々を大切に大切にした付き合い方をしてくれて  《 自分の言葉 》 で きちんと会話をすれば 年齢に関わらず  ちゃんと接してくれましたから 『 日本には スキップのシステムが無いから 自立している子供達は 負担が大きいね… 』 と アメリカ人の友人は よく怒っていて  それぞれが帰国する際には 『 どちらかを連れて行っても良いか!? 』 と 息子と娘を誘ってくれたものです。   その中で オーストラリアステイのチャンスを得た息子は 2週間後の帰国してから  『 向こうに行ったらね、 ミンナが、ホームシックになっていたんだけど そんな暇が無かったよ! そしてね、 今までの 自分は 「間違っていなかったんだ!」 って しっかり思えたよ! 』 と それまでの数年間で 自分自身に 自信が持てなくなりつつあった中でも  客観視しながら進んで来ていたので 『 やっぱりね、 日本人が 人の事を 「 変 」 とか、直ぐに言うけれど それが 「 変 」 なんだよ。 』 と。
そんな 息子の変化を見ていた 妹 としては 彼女自身も保育園時代に 酷いイジメに合いながら 保育士達に 流された対応をされて  6歳児が 直談判で イジメの主犯格の子供の母親に 泣きながら 皆の前で訴えるほどの事がありましたので  英語強化クラスでの 2ヶ月の カナダステイ研修を目標に  そして 『 チャペルが有るから 』 と 中学校を選びました。

早いもので 2年前になりますが、 中学3年生のときに 娘達のクラスは 2ヶ月の カナダ研修へ行きました。  娘のステイ先は フィリピン人のご夫婦と 家を出て自活しているお兄ちゃんと 娘より1つ年下の男の子の キーナンでした。  とっても 喋る事が大好きなファミリーで 私のところヘも 『 2ヶ月間は 自分の娘だと思って生活をするから 安心して任せて下さい! 』 と ご夫婦からの 温かい言葉が電話を通じて 届きましたが、 非常に訛りがきつくて 早口で ちょっと心配になったというか、「良い環境へ行ったものだ!」 と 楽しくなりました。 何人も ステイの日本人を受け入れているお宅でしたが、 娘の 英語モードの時の思考回路は 清泉寮仕込なので 互いに解るまで 聞き返して 答えて〜 を 楽しみながら 会話が上達したようです。
フィリピン人の ファミリーが、 ご近所にも数件在って 子供達と直ぐに仲良くなって 話を聴くと『 昭和の子供達 』 のように たくさん遊んできたようでした。   そのうちの1件の “ニコル”のファミリーが、 クリスマス休暇で 日本経由で マニラへ帰って  その帰りに 日本で1泊してから アメリカへ立ち寄るとの事だったので  朝4:30 に出発して 途中の サービスエリアで 2人の友人を乗せて 成田へと 会いに行きました     数時間しか 一緒に居られませんでしたが、 ホテルのバスに乗せてもらって 一緒に空港へ向かったのですが、  学生証 を忘れた娘達は 丁度、パスポートを広げていた パパさんの隣りに居たので 『 何処にいる? 3人は 私の娘です。 』と言うと ニコルのパパさんが、 「 ココ! 」と ジェスチャーをしてくれて 事情を説明したら 周囲の方々は 娘達がハーフだと思い込んで 『 日本人から 「エクスキューズミー」って 言われちゃったよ。』と笑っていました。 

数時間しか 一緒に居られませんでしたが、 一緒にショッピングを楽しんで 『 此れは何!? 』 と尋ねられる度に 説明をしていましたが、 そもそもの国民性の違いで ユニークな電化製品を作り出す日本人の発想から 説明しないと 『 フ〜ン。 面白いね!? 』と 理解不能の商品もあって そんな皆の会話が、 ユニークで 面白かったです!   日本での フィリピン人の友人も居ますから 何となく フィリピンと言う国の 感覚的なものを 娘は習得していたみたいだったので  特に驚く事も無く カナダでは 2ヶ月のステイを 思いっきり楽しみました。  ただ… 海外での長いステイ中には 色々と有るもので クラスメイトの 自我や 甘えが出て  現地で 喧嘩になったそうでしたが、 キーナンのママさんと パパさんが居てくださるので 心配していませんでした。  甘えを出す子供の場合には 隣の芝生が青く見えるもので  お世話になっているステイ先に対しての 不満などを積もらせる方向性の心境でしたから  娘のステイ先で 日本語で 愚痴り始めて  結局 英語と日本語とミックスでの大喧嘩になって  キーナンママが 『 謝りなさい! 』と ストップさせてくれたそうですが、 とうとう謝らなかった娘に ずっと見守っていてくださったので あえて 理由を尋ねてくださって 『 自分で 謝りたくない理由がちゃんとあって そうしたいのならば 良いよ。』と 言ってくださった事が、 娘には 更なるステップへと押し上げる起爆剤になりました。
クラスメイトとのトラブルが、 毎日の負担になっていたので リベンジ! と称して  大学進学へ向けての積立貯金を下ろして  昨年夏には 1ヶ月のステイで 再び カナダへ行きました。  大人ばかりの静かなご家庭だったので 英語の勉強を集中してすることが、出来たようです。   しかしながら 日本に帰ってくと どうも本来の自分の姿を出し難くなってしまった傾向は有りますが、 久し振りに会った国際部の職員だった メーガンに 日本語禁止をお願いしておいたらば 周りの人達が 『 あの小さかった子が、こんな会話をしている!! 』と驚いてくださるほどで 本人も そこで自覚して 将来は 自分らしく生活する為に 外人志望のようです。  春からは ハングルに引き続いて フランス語を取って 《 オスカル 》 を目指すそうです   レスリングの次は フェンシング!?



生まれた時から 馬術競技場に連れて行かれえていた我が子たちです。 生の生きものを見ているだけに 美術科での 立体作品は 特に楽しそうに作る子供達です。   犬も猫も 馬も 大差なく接する人たちの中で 過してきたので 『 おじちゃんちの ポニーの コナンちゃんが欲しい!! 』 とか 言い出す かつての保育園児で 本当に朝起きたら 玄関先に繋いで行っちゃうことも 遣りかねない人たちなので 『 ダメ!! 』と ストップをかけてきましたが、 本当に ポニーが 欲しかった娘です。  友人の牧場で 羊や山羊が生まれると 猫ほどのサイズの 仔山羊を抱えて 兄妹で 『 どっちにしようか!? 』 と選んでいるし ミニ豚の 大豆クンとは 親友となって お祭の期間は ずっと2人(仔豚が2匹!?)で過していた娘です。   我が家の エンゲル係数 は ホームセンター と 息子の牛乳代で上がるものだと 確信した母の私です・・・。  夏には 牛乳を 1日で 軽く3Lほどは飲む息子は 『 家のジャージーあげようか!? 』『 ハイジや ペーターみたいに 山羊乳に変えなよ! 庭の草刈もしてくれるし〜! 』と言われます。