始めの一歩から末永く〜♪

連日の暑さで 特に 風の止んでしまった夜は 眠っているのか?眠っていないのか?自分でも分からないまま  外が明るくなってきて 「 疲れた… 」 そんな毎日です。
低血圧の上に 寝不足で ぼ〜 っとしていると 珍しい人からのメールが届きました。   年賀状で 『 結婚しました! 』 と 芽出たい報告を届けてくれていた 小中学校の 同窓生 からでした。

新人パパ となった彼とは クラスは一度も同じになった事が無いのですが、 小学校時代に 同じ サッカー部 でした。   その頃は 余り目立たなくて 直ぐに泣いちゃう(私が泣かしていた訳ではないです。)様な 大人しいタイプでしたが、 中学に進んでから  勉強も スポーツも 目立つ訳では無いながらも 確実に向上させて  後々、 大学も 誰もが羨ましいと思う 名門へと進みました。   接点と言うほどの接点は少なかったのですが、 皆が 大学生や 専門学校生や 社会人となった頃に 『 同窓会、やろうよ! 』 と 企画が持ち上がって  バラバラになった同窓生達の連絡先を 年賀状などで 把握できていたメンバーが、先ずは連絡網を作りました。   詰まりは 彼も 私も 裏方向きだった訳です。
しかし まぁ〜 早い同窓生だと 孫が居る! と 言い出しかねない年齢へと なりつつある私達ですが、 まさか新生児の写メが届くとは思わず。 1ヶ月早く生まれたので 小さいそうですが、 十分にしっかりとした顔つきです! 『 元気に 大きくなってね〜 』 と 写真に話しかけながらの 何だか嬉しい 1日のスタートとなりました!!


偶には ピアノの話をします。  1967年製の 《 イースタイン 》 と 1年ぶりの再会をして 調律をさせて頂いたのですが、 天候の影響などを受けているものの 『 以前よりも 元気な音ではないですか? 』 と オーナーさんの尋ねてみると 『 やっぱりそう思う!?  何回かの引越しで 一旦はずっと弾いていなかった時期もあったけれども  この数年、 調律していただくようになってから 向こうの部屋に居ても 音が通って よく聴こえてくるの! 』 との事でした。
イースタイン 》 は 2.26事件にも関わりのある 旧陸軍大佐が 『 戦争によって 多くの国民を苦しめ続けてしまった… 』 と思い  今後は 平和的な文化国家としての日本復興 を目指して 元軍人だった方々が集って 自分たちなりの戦争責任の取り方として ピアノ作りの道を選び  偶々、リードオルガンを作っていた工場の跡地を手に入れたことから始まります。  しかしながら 楽器の製造など 全く知らない方々でしたし 中には リサイタルなどで ピアノの音を聴いても 余り感動を覚えない人もあったようですから 線と多難だったようです。   しかしながら 試行錯誤をするうちに 楽器津きりの盛んな 静岡県浜松や 東京の鎌田の辺りから 離れていた事もあって  返って 様々なピアノ製造に携ってきた職人達や 草分け的存在の調律師達が、 研究所のようにして 顔を出して アドヴァイスをしていきました。  多くのピアノ工場の木工職人さんたちは 『 ピアノなんて弾けないし 楽譜も読めないよ、上としたくらいは分かるけど。 』 と言う方が多かったのですが、 そんな調律たちによって 色々と研究されていく間に 木工職人としての技術によって 独特な有る意味での理想的な細部の製作をする様になった会社です。  調律師たちの 口コミで広まり 受 注生産にて 届けられた楽器達が、 今も元気に 響いています。
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私の 《 イースタイン 》 は 嫁入り道具として買った楽器ですが、 平成2年の 廃業間際に作られた 調律師たちが 多めに注文を出して ストックした内の やっと見つけ出した 新品の1台です。   学生時代に 工場を見学させていただいた事があるのですが、 お年を召した全員が 部長さん。   一度 倒産をしたのですが、 有志が集って 再結成された事と  弟子を育てる様な時代では無くなり始めていたことも重なっていたようです。   平成2年の廃業は 『 前のように 格好悪く惨めに倒産する前に みんなも年を取ったから 潮時 と思って 自分たちの意思で畳むことにしたんだよ。 』 と 後に伺いました。 



さて ピアノのある部分なのですが、 パーツを固定している ネジ の形状を見て下さい。    ピアノに限らず、 多くの工場製品(電化製品でもかまいません。)と比べて見て頂くと 直ぐに違いに気が付かれると思います。
古い楽器なので ねじ山が 《 マイナス 》 なのです。   現在では 多くの製品は 《 プラス 》 のネジを使っています。   インパクトレンチ等を使って 多くのネジを より早く締めて行く為には マイナスよりも プラスネジの方が、 効率の良い事が多くあるのです。  しかしながら 長年使ううちに ねじ山が潰れ易いなどの デメリットな面もあります。   ですから 世界で 名器 と言われている楽器を作る あるブランドでは 未だに マイナスネジのみを使っています。


ちょっと年を重ねてたピアノ達は 劣化・消耗部品が現れます。  だからと言って 弾けなくなる訳ではありませんし 音が出なくなるわけでもありません。   稀に 悪条件が重なってしまうと 早々に寿命が尽きてしまうことが在りますが、 ずっと年を重ねてきたピアノですと そのピアノに合った弾き方をする事で 新しいピアノには出せない響きがあって 素晴らしい音楽を奏でる事ができます。

時には アクションを持ち帰って 簡単な修理を必要とする事がありますが、 その修理をすることで 再び 10年・20年〜 と その個所の修理をする事無く 弾く事が出来ます。
長い眠りについた経験の有るピアノは 弾き続けられているピアノとは ちょっとしたクセが付いてしまったり  妙な雑音を発する事があります。  天然の素材で作られた部品が多いので  それらの素材の性質などを考えながら 原因究明をしていって  弾きやすくなったり 雑音を止めることが出来た時には  1人自己満足的に喜びを味わえるのです。

アップライトピアノ の場合は特に 鍵盤の周辺のメンテナンスを ちょっと一手間加えて お客様に 一度 実験的に弾いて頂いてみると 『 こんなに 弾きやすくなるなんて!! 』 と 他の個所を未だ調整していないのに とても驚かれる事があります。   雑音に関しても 同様なことがあります。
大掛かりな オーバーホール (アップライトピアノを 「ウマ」と呼ぶ台の上に寝かせて 設備を必要とするような修理を含む。 )をする際には 当然の事ながら  細部に亘って  交換をした部品を ピアノの楽器の一部として機能させるための 調整や 加工が必要となります。  勿論、 アクションをお預かりした修理や 現場での修理や部品交換の場合でも 同様です。 
今回は 大掛かりな部品交換には至らず、 極当り前の 簡単な部品交換のみで スムーズに動き出したアクションですが、 不思議な僅かなタッチの引っ掛かりと 小さな雑音が気になりました。  現場で 確認をしながら作業を進めて行ったのですが、「 何だか 納得行かない… 」 と 思うような 状態に至らず…。
再度、 初歩的な作業を考えながら 点検をしていくと 答えは 簡単で 意外な所が 『 S.O.S. 』 を求めていました。  鍵盤の運動エネルギーをアクションに伝える 最もはじめの個所でした。   シーソーの様な運動をして アクションの下から 上へと運動エネルギーを伝える キャブスタン (「パイロット」とも呼びます)の頭には ウィペンの ヒールと呼ばれる所の とても厚いフェルトを貼った個所を突き上げているのですが、 独特の 小さな動きをするので その潤滑を好くするために 《 黒炭 》 が塗られています。   専門の材料屋さんでは 大き目の平たい棒状のものが売られていますが、 持ち歩く為には 自分で小さくした物や  代用品として 画材店で売られている デッサン用の 濃い目の鉛筆などを使います。   この 鉛筆の芯と同じ様な 黒炭 が なかなかの優れものなのですが、 メンテナンスを怠ると 途端にいうことを利いてくれなくなる物の1つです。

写真の 「 5つ並んでいる キャブスタンの頭 」 ですが、 右の2つと 真ん中から左の3つ とでは 何か違うでしょう?   ちょっと分かり難いとは思いますが、 右の2つは 既に 頭を磨いてあげました。  「磨く」といっても 柔らかな布 等ではありません。  「道具は使いよう!」で カバンの中から 適当なものを使って ピカピカ にしてあげます。  必要であれば 再度 塗ってから ピカピカ に磨きます。
一通りの作業を終えてから 指弾してみると タッチも 雑音も止まり  好い 塩梅 でした。


雷注意報が、県内全域に出ていて  雲が多くて ちょっと涼しい日でした。   午後になって 遠くで響く 雷の音と共に  ザ= っと 降ってくれたので 更に涼しくなったのですが、 夕方近くになって 『 信号トラブルの為 高尾〜甲府間で JR 運休中 』と JR からのメール。  その後に 娘の学校からの 一斉送信メールで 『 JR が 上下線共に不通となり 運転の見込みがありません。  お迎えに来られるまで 学校で待機させますので〜 云々 』 との事。  電話を掛けようとした途端に 娘からの電話で 『 お母さん、 落雷で 電車停まっちゃった…。 迎えに来れる? 』 と 娘の声を掻き消すように ホームのアナウスの駅員さんの声も聴こえたので 行くしかない…。   学園祭初日で 今年は珍しく 台風の心配が無さそうだ〜 と思ったらば 落雷でした。  既に いつもの娘の帰宅時間に近かったので  朝は朝で 大きな地震で揺れに見舞われた 諏訪湖の近くから通学している同級生のお母さんにも連絡を取って 『 山梨管内は 完全に不通だって… 』 と伝えると  お嬢さんと連絡が取れてから 改めてお電話を下さって 『 動くと思って乗っていた電車が動かないみたいです。  諏訪の方の駅前も 高校生が溢れています〜! こちらも停まったみたいです…。 』 との事。  止まられては困るものです。
原発の問題が出る以前から 何かと頻繁に 『 オール電化にしませんか? 』 と 電話が掛かってきていましたが、 その度に 『 冬は 雪の重みで 電線が切れて 灯油の床暖の回路は止まって 石油ストーブ出さなきゃならないし  春は 変電所に アオダイショウ が入り込んで 県内の広範囲での大規模停電も起きたことが有るし  夏は落雷で停電するのに  それでもオール電化を勧めるのですか!?!? 』 と 逆に質問をすると 簡単に電話を切ってくれます。