耳では聞くことができない 沢山の心の声を感じたいです♪

東日本大震災から 4ヶ月です。
関東地方で 育つ と  学校の授業としての 社会科 であったり 道徳の授業であったり  避難訓練であったりと 様々な場面で 【 関東大震災 】 の事を学ぶ事が多かったです。  特に 夏は 終戦記念日などと共に 大きな出来事として 扱われています。  丁度 お昼の支度をしていた時間帯でしたので  揺れによって 家屋が倒壊した事以上に  火の手が上がって 東京を飲み込んだ事の方が、被害を大きくしたことで  様々な防火設備も 教育も 整っている今日です。

我が家が 色々と関わりの有る 清里の 【 清泉寮 】 は そんな風に倒壊して 燃えてしまった 東京 復興の手助けに  アメリカからやってきた 《 ポール・ラッシュ 》 によって  設立された所です。   この八ヶ岳の 中腹値の右肩 に 在ります。  写真では 丁度 森に隠れてしまっている辺りです。   ポール は 横浜港に着くときに見えた 富士山 に魅了された方で 震災の復興が YMCAからの そもそものミッションでしたが、 来日をしてみて  日本の青年達ヘの 様々な教育の必要性も感じるものがあり  はじめて日本を訪れた時に 船の上から見えた 富士山 の見える場所に 日本の青年達を育成する為の施設を建てたいと考えて  山梨県 に交渉をして 土地を借りました。

その後 第二次大戦などを迎えますが、 日本国内でも 《 東京の水瓶 》 と 称された ダムの建設のために  標高が高くて 当時は農作物も育たない清里に 村の人たちを纏めて移住させる 事なども起こりました。
再び 日本に戻ってきた ポール・ラッシュ は アメリカの ジョンディア と言う グリーンのボディーのトラクターなどを持ち込んだり  日本で始めて ジャージー牛を導入したり その飼料となる 寒冷地でも育つ 牧草 を 試行錯誤を繰返しながら 研究をしたりしながら 入植者の青年達と共に過された方です。   アメリカン・フットボール を 日本に紹介した人としても 有名です。 ライスボール(ライス杯)は 日本人の最も親しみの有る 《 米 》 から 命名したそうです。
清泉寮には 日本人の生活スタイルにも合わせえた 畳 を敷き詰めて 建設地の土の中からゴロゴロと出てくる石を積み上げて 聖アンデレ教会 は 建てられました。  今でも 大切に使われて  人々が集います。
東京の 聖路加病院 設立・建設の時には アメリカ国内を巡って 寄付金を募って 大きな資金としました。  立教大学の教壇にも立たれていますので 立教大学の チャペルには 金色に輝くプレートに刻まれた ポールの家紋の 【 X 】 アンデレクロス が、 掲げられています。  息子と 娘にそのプレートを見せたときは 未だ小さかったですし 「ポールさん」は既に亡くなられていたものの 清里と 池袋とでは 随分と離れた場所ながら 縁の有るものを見て  とても感激をしていた姿が 懐かしいです。
GHQ として 夏の定番となっている 甲子園での高校野球を 戦後に復活させて 始球式にも臨まれています。



クヌギ の実も 未だ 5mm に満たないほどですが、 ちょっとドングリっぽくなってきました。   丁度 羽化したばかりの オオムラサキ が、 我が家の 白い壁 に 集ってきました。   どういう訳か、 家を建てた時から 我が家の 壁を 好んで 集ってきて  日中の暑い時間帯は 軒下で過しています。  毎日 3頭ほどは やってきますが、 引越し当初は 庭で 30頭もの 派手で 大きな蝶たちが、 グライダーのように飛び回り  餌を与えると とても賢くて  チップたち・ニャンコが、チョッカイを出そうとすると 一斉に飛び上がって  軒先に並んで 猫達の動きを見ている姿は 雀達のようでした。   更に 茶色い メスも集ってきて  夏の終わりごろには 夜の網戸に 蛾 のように群がる様子は 『 国蝶 とは 思えない・・・ 』 と 小さかった 昆虫好きな子供達も 呆然としながら 派手な蝶たちの 終焉の時を眺めていました。  そんな様子を オオムラサキ・センター の職員に話をしたことがあったのですが 『 センター内で 育成している数より 多いじゃない・・・ 』 と 気が抜けたように 驚かれていました。  


NHK の BS 受信料 を 『 ケーブルの方で 契約をしてしていないから 見れなくなった! 』 と ずっと言い続けてきたのに  結局 10年程 以前のパラボラアンテナの延長で 講座から引き落とされていて  その他にも 息子の1人暮らしがスタートした際に 家族割引の際の説明の仕方や 契約を取る訪問員の 態度の悪さ、  更には 問い合わせ&クレームで 電話を掛けても 先ずは 『お客様からの 参考にさせていただくために〜 録音させていただきます! 』 って そこからが脅しでしょう!?気分が悪い・・・ 一般人には そう感じ取れます。  更には 応対が マニュアル通りで 自分が判らないことを延々と棚に上げて喋った挙句に やっと『上の者に代わります』『後程、お電話させていただきます』と言い出す始末。  電話に出ることが お仕事の方は 良いですよ。  しかし 掛けるこちらは お仕事の合間の 時間が出来た時に 電話してるんですよ!  何度か、掛けたものの その度に微妙に違う曖昧な返答。  『 法律で決まっています! 』と刃物のような言葉を 1人暮らしを始めてまもなくの学生達に行き成り突きつけて それぞれの親から注意をされている『簡単にハンコを押すな! 』 に反する行為を リーフレットも渡さずに その場で迫る。 『お母さんのご心配のお気持ちは判りますが、 未成年と言えども 1人暮らしをしているので 十分に一人前です!』と ちょっとお年を召した女性に言われた時には 『貴女、子供居るの? 育てた事有るの? NHKが法律って言う割には 未成年が万が一の何かの際にハンコを押してしまった事で起こった責任問題は 保護者へ掛かってくる事なのに 何でそんな事が言えるの?何処の基地局で 電話に出ているの?』と訊ねてしまいました。  暫くのフリーズ後に 『 大阪です。  子どもが居るかどうかは お答えいたしかねます。』 って そんなもの聞きたくも無い!!  『貴女に 体温が感じられないから言ったまで。 顔が見えない相手に対して 電話対応はとても神経を使わねばならない事と 技術職についていながら 必要だからと トレーニングを私も受けてから 仕事として任された経験が有るからね。』と 話をしたこともありました。 
先日も 半年分を引き落とされてしまいましたが、 ダメ元! で 最後の手段。  甲府放送局に 掛けてみました。  すると その場で キーボードを打ち込む音や その向こうで 別件で電話に対応する男性職員も声なども聞こえて  やっと 生身の人間と喋る事が出来た気持ちでした。   これまでの対応の悪さなども お話をして  震災直後の 不安な日々の中で 息子の携帯電話で 電話を掛けてきた訪問バイト職員や センター職員の知識不足のままの対応や 放送法ではなくて 協会会則のみが 取敢えずは配布されてはいるものの  放送法について 『周知されておりますと通り〜』と 平気で言い切る他県局職員の事も お話しすると  非常に複雑な驚かれ方をされて  そして何人もの人と会話をした中で はじめて聴いた『 申し訳有りませんでした。 』 でした。   局の職員の方のようで 異動も経験されているのか!? 他県の地域的な対応の違いもご存知で  感覚意的な違いによる事で あっては成らないながらのあり得る対応・返答の仕方で有ることを感じられたようです。
そして 協会会則は配布されてあったとしても 事有る毎に 変更される内容までは タイムリーに私たちの手元には届いていません。  そして その元になっている 放送法 については 『何処に書かれているの? 』と 質問をしても NHK職員が、 誰一人として 答えられた事はありません。   その方も そのことは理解されていて  ワンセグに対する契約の事でも 職員によってまちまちで  多くの学生達が困っている様子も お話しすると 『 最近は ワンセグの付いていない スマートフォンを使われている方が増えていますから 見せなくても はっきりと伝えるように お伝え願いますか?  それ以上のことがあれば こちらにお電話下さい。』 と 対応策を示して下さいました。
しかも 電話の向こうでの キーボード操作で ちゃんと BS 料金は 解除となりました。  更に 先日支払った中からの BS料金 は 返金されるとの事。
その途端に オオムラサキ が 4頭ほどが 一斉に 庭を飛び始めて 見事でした。 思わず 『 嫌な会話の応対になってしまって 申し訳ないです。 今 庭先で オオムラサキが飛んでいるのですが、 貴女に お見せできない事が残念です。』 と伝えると 『 県内でも 地域によって 違いがありますから  今後は 何なりと こちらの局まで お申し付け下さい。 』 と 快く言ってくれました。
地デジヘの 移行の時期でもあったので  長年に亘る 契約内容変更を求めつつも アクションの無い事で NHKに対して諦めつつあった事ながらも 無事に通ったことは 喜ばしいことです。
丁度 午後からの娘の学校での 聖書に親しむ会 で 読んだ個所が、 イエスユダヤ教徒たちと 安息日の解釈について 問答をする場面で  「伝えようとすれば解る人には解る」 そんな個所でしたので タイムリーに思いました。  1人暮らしをする我が子を持たれている保護者や 単身赴任のご主人の場合でも NHK との受信料契約時には 多々、トラブルが起きていることを 沢山の方々から聞いています。  聖書に親しむ会 の出席者の中からも やはりその様なお話を伺って 『 使いたくないエネルギーの使い方をされてこられましたよね! 』 と 声を掛けてくださったお母さんには 本当に慰められて 『 違うことにエネルギーが必要ですし 使い方を選びたいものですよね。 』 と 慰めあいました。
昨日のブログでご紹介した Kikuchiちゃん吉さん の 本の お話も ちゃんと集られた皆さんに お伝えしてきました。   被災地では 多くの事を抱えたまま時間が流れていますが、 離れている者は 少しずつ心が離れていってしまうものです。  ですから 宗教主任の牧師先生からの お祈りの言葉を聞きながら  皆で 祈る事は 《 忘れない! 》 とする為にも 大きな意味を持つ事です。  NHKも 『 皆さまのご理解と ご協力〜 』 と CMを流すくらいなのだから もっと理解されようと努力して欲しいものです。  受信料を払う側の立場になって。
もう直ぐ 被災地・東北での インターハイが始まります。  何年も掛けて 準備をしたり  地域の皆さんが、受け入れる協議の選手達に対しての 《 おもてなし 》 を準備されて来られていることなども  高校野球ばかりでなく 同じインターハイなのですから 縁の下の力持ちの皆さんの姿を 取材して  全国へと放送して欲しいものです。(又 電話掛けようかな〜!?)
 

息子が 『 扇風機が 50000円のダイソンだけ残っていて 売っていないんだけど・・・ 』 と 言って来たので 『 お届けに上がりましょうか? 』 と返答すると  以前ならば 『 結構です!! 』 と即答したのに 『 そうしてもらっても好いよ〜 』 と 引越しの際に持って行かなかった MY 扇風機 を当てにし始めていました。   節電と 電気代の節約の為に 探しているのですが、全国的にありません。
電気屋さんや ホームセンターへ  当てにはしないまま ダメ元! で 数箇所に立ち寄った 最後の ホームセンター で  在庫分を積んで 店頭に有る 扇風機を見つけました!!   箱のサイズ的には 送料が安そうではありますが、 本体のサイズや デザインや 機能が ビミョ〜! なので  扇風機を求めてお店に訪れるお客さん全員が 全員同じ表情をして  ちょっと違った意味で 立ち止まって  肩を落としていました。
息子にも 写メ をして 電話を掛けてみると 『 値段と送料を合わせると 予算上げても 自分で見つけるよ〜。 』 と 言うので  ダイソンだけは止めて貰って  本当にこちらのものを届けてしまうと 帰省したときに 彼の MY 扇風機は無いので 数日間の暑さを凌げ無いのも困るので  ちょっとだけ予算を上げて探すように言いました。
  

お店から出ると 八ヶ岳の上に 物凄い 入道雲が立ち上っていました。  
豪雨並みの 夕立を期待しながら 標高の高い 自宅に帰ると  NOЁL が 外気温と照り返しの熱で 茹蛸にならないように  窓と レースのカーテンを閉め切って出掛けたお陰で  玄関を開けた途端に 家の中は 冷んやり とした朝のままで保たれていました。  家での作業の時も レースのカーテンと ペアガラスには 可なり救われています。
   

暫くすると 冷たい風が吹き始めて  エアコンで冷しながら帰ってきた 車の車内の温度も 駐車している間に上がる事は無さそうでしたから  久し振りに NOЁL と 近所まで 買物に出掛けました。