《 学校 》のこと〜♪


甲府の駅前に 移築された 明治時代に建てられた 《 インク壷 》 と呼ばれる 藤村儀洋式 の 小学校です。   県内に 数箇所で 資料館などとして 再利用されながら 現存しています。

寺小屋から 学校へと変わっていく時代の山梨は 多くの人が地主さんに納めるものは 物納 だったそうです。  それが、これらを建てる為に 現金での 上納 をする事となって  借金をした時の覚書台帳のような資料が、 埼玉県との県境に近い 雁坂トンネル 近くにある 牧丘 の 室伏資料館 に 残っています。   室伏に残る インク壷 校舎は 後の 県立 日川高校 の分校としても使われたそうです。 


この建物については 千葉県佐倉市 に在ります 《 暦博 》 と呼ばれる 国内の大学の研究機関でも有る 資料館に 函館の ハリス館 の模型と共に 展示されています。  当時の 歌唱科 の授業で使われた 楽譜も展示されています。

こちらは 山梨県北杜市須玉町に在る  資料館ですが、 3代校舎 と呼ばれて 明治・大正・昭和の 小学校が並んで居り  資料館や レストランや 併設して 温泉ではありませんが、 宿泊施設&大浴場もあって  元・校庭では 今でも 春の桜は 見事に咲き誇ります。 


甲府駅前の 資料館に展示されている オルガンです。  昭和に入ってから 寄贈されたようでしたが、 当時でも 高級品であったにも拘らず 学校備品として マジック の様な物で 『 昭和○○年 ◎◎様より寄贈 』 と言うようなものが、 直接書かれてあって  何だか、微笑ましく思えました。

こちらは 須玉資料館 に置かれている 明治23〜24年頃に作られた 【 YAMABA 】 の オルガンです。 【 YAMAHA 】 の創業時のブランド名です。    暦博 にも 同時期に作られた 【 YAMABA 】 の リードオルガンが、 展示されています。


以前にも この建物や リードオルガンのご紹介をしましたが、 今日は 《 学校 》 に纏わる 不思議な出会いをしました。
京都の楽器店社長 から 納品調律の依頼を受けて  我が家から車で20分ほどの御宅へと伺いました。    奇麗に オーバーホルをされて有るものの 個性的な【 ディアパソン 】 の 古い楽器だったので 『 珍しい楽器を選ばれたんだな〜♪ 』 と思いながら 伺いました。   いつも通りに 始めてお邪魔をする際の ご挨拶や 苗字の珍しさに話題が移り  出身地などの話題までは  実に いつもと変わりはありませんでした。 が、 違ったのは そこからです。     「 東京の何処に住んでいたか!? 」 と言う話に 互いになった時に 『 え〜〜〜〜!?!? 』 と 驚く事に お客様は 小さな小さな母校の ミッションスクールの1学年後輩だったのです。    幼稚園から有る学校でしたが、 私は 高校の3年間だけを そこで過しました。   当時は 厳しいシスターが校長を務めていて 幼稚園 小学校までは共学で 中学高校は女子校でした。  小学校の半分の男子が抜けるので 中学校からは 学年一クラス。   高校では 当時は 衛生看護科がありましたので 高校から入学してくる ナースの卵達のクラスも合わさって 中高6学年で 9クラスでした。   体育祭も 幼稚園から高校生までが、 合同でした。  随分と歳が離れての先輩は 県内に1人住まわれているので 会いに伺ったことがありますが、 こんなにも近くに 直ぐ近い学年の 同じ時間を隣同士のクラスで 過した人と出逢うとは思いませんでした!  お母さまも 学校に関わられるお仕事をされていらした方でしたので  当時の懐かしい話や 現在の 共学 となった母校の様子や 先生方の近況などの お話が尽きず、 「 何故に 京都の楽器店からピアノを買われたのか!? 」 と言う経緯なども伺うと  何だか、色々な不思議な力が作用して 出逢うべき時だったように感じるものが 沢山ありました。
調律の作業は 後日改めて〜 となりましたが、 20云年前の想い出や これまでの時間の経過を共に話合える人との出会いは 互いに 「 確率的にも凄すぎる・・・ 」 と ただただ 驚くばかりでした。
楽器店社長に 感謝しています。