お盆休みのフィナーレは!?


お盆休みも 終わりです。  大学生の夏休みは まだまだ続くのですが、 活動は開始します。   夕方のバスに乗って 一旦 新宿に出てから  再び 中央道を通って 北陸へと帰るバスに乗る息子は ちょっと時間の無駄が多いながらも 『 ハンズや 秋葉に行ける! 』 と喜んでいます。   帰り仕度を済ませて 時間に無理が無いように お昼を食べに 家族揃って出掛けました。   何処もいっぱいで 今まで行った事の無いラーメン屋さんに入りました。    しょう油系のスープに拘っているので メニューが少なかったのですが、 思った以上に美味しくて 内心 『今度又 1人で来よう!』と思った私です。
帰り掛けに 息子の母校へ寄りました。   今は 廃校となった場所ですが、 3年間を色々な事で闘ったものの 想い出の深い場所です。  『 宮崎駿さんの家って 何処だっけ? 』 と そんな話をしながら  主人ならば敢えて走らないような かつて原付で走っていた様な道を選んで 運転を楽しんでいました。

跡地は 新地にして売る予定もあったそうですが、 結局 校舎もそのままの状態で 知る人ぞ知る すんごい会社が、借り受けてくれました。   地元の多くの人は知らないので 『 太陽光発電の会社 』 と 聞かされていたのですが、 《 三鷹光機 》 http://www.mitakakohki.co.jp/ です。  確かに 太陽光の研究もされては居ますが、 『校庭に ソーラーシステムのパネルが並ぶ 』 とか、 勝手な憶測が飛び交っていました。
息子には 「こんな会社に入って貰いたい〜」 と思う様な ユニークで 非常にレベルの高い会社です。

春に 息子へ 満開の桜を写メールしようと 立ち寄ったときには無かったのですが、 素敵な看板が立っていました。    『 どう見ても 宮崎駿さんのデザインだと思うんだけど〜!? 』 と私が言うと 家族一同で 否定。  『この字体は 絶対にそうだよ!』 一同 無視。
懐かしい昇降口まで行きました。  『 学校として使わなくなってから 用務員のテッちゃんが 安い費用で 管理してくれていたんだって。』と話すと 『 テッちゃん 懐かしいな〜。 あれ、 校舎の中 そのままに使っているんだ! 』 と 冬場のプールで 息子と一緒に合鴨を飼う相談をしたこともある様な 可愛がってくださった用務員さんの姿と共に 懐かしい場面場面が、 彼の脳裏に蘇っていた様子でした。
『 これ オレが作ったんだよ。 』 と 桂 の樹の根元に立ててある 「 カツラ 」と書かれたプレートの前でしゃがみ込みました。  裏には 名前が彫り込まれてありました。
農場実践中学校 と 我が家では呼んでいた ユニークな中学校でしたが、 田舎の小さな集落特有の 閉鎖的な学校でした。   でも 校長次第では 学校のカラーは変わります。   教員の意識次第では 学校は変わります。  そのことも 体感した中学校でした。
 

帰りのバスに間に合うように 早々に帰りましたが、 表の道に出ようとした時に 道向こうで振り向いた方こそ 『 宮崎 駿 さんだ〜!! 』 と 皆で声を上げてしまいました!   かつて お出掛けの時の車の中で聴くCDは ジブリメドレーでしたし  家で見るビデオは どれもジブリ作品で セリフを喋りながら 繰返して見ていた 息子と 娘です。
お孫さんと お散歩中のようでしたが、 以前 温泉で会った時と同じ様に 腰に 白いタオルを1本下げていました。  その時には 思わず、声を掛けてしまったのですが、 咄嗟の反応で サインを描いて下さる仕草をなさって下さっる そんな方です。   銭湯の様に使っている温泉に行くのに サインを描いて貰えるような紙もペンも 持ち合わせが無くて  とっても残念な思いをした記憶が、 蘇っててしまいました〜
帰りの車の中では 1人『トットロ、ト〜トロ〜♪ 』 の歌が流れ続けていた私の脳裏です。