再会は雅楽を聴きながらとなりました。


出会いも多いですが、別れの時も増えてきているこの頃です。  と言っても 心の中に ずっと大切に仕舞える素敵な想い出のプレゼントを残して行って下さった方とのお別れをしてきました。
10月7日 に 『 明日のホームコンサートでは Hさんに 何年振りに会えるかな? 楽しみです! 』と 調律の作業を終らせて 翌日のコンサートを楽しみに帰宅をすると 不思議な腐れ縁ともいえる友人から 久し振りの電話が掛かってきました。  いつもの様な 元気の好い声ではないので 『何かあった?』と訊ねると 『 ノダッチのお爺さん、自宅に帰ったよ…。』との言うのです。   『ノダッチのお爺さん』とは 私にとっては父親のような人で 子供達も つい数年前まで 『世の中には お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは 3人ずつ居る!』と信じていた程で 私達夫婦の仲人も務めて下さった方です。
久し振りの再会を楽しみにしていた Hさんのお父さんです。

只今、鉄砲ユリも見頃です。
お付き合いは 私が未だ小学生の頃からですから 30年以上になります。  昔は 《 保養牧場 》 を営んでいて 名古屋競馬場などの競走馬が、保養に来ていた牧場主でした。  主人も馬術競技をしていた頃は 2頭の自馬を預けていましたから 銘々に 毎週末は この牧場で過ごしたものです。   
知らせをくれた友人は 息子の同級生の母親でもありますが、 私同様に ノダッチのオジサンにお世話になった弟が、東京から山梨まで通っていた高校時代の同級生です。   『 お昼も おやつも食べて 「夕飯は ちと腹が太いな〜」とか喋っていて その数分後に 喋っていた職員が眠っているのを見つけたんだよ。 だから 全然苦しむ事も無くて ご飯もちゃんと食べて 本当に眠っちゃったんだよ。』と 様子を伝えてくれました。   認知症になってしまっていたので 家族のことも殆ど分からなくなっていたそうですが、 会いに行こうと思うと インフルエンザや肺炎が流行って仕舞って 関係者以外立ち入り禁止になって居しまっていたので とうとう会えず仕舞いでしたが、 時々 彼女が 家の子供たちの話をしてくれていたそうで 『 Hideの事は 分かって居たんだよ。 ちゃんと何処の大学へ行ったか?も分かって居たんだよ。 』と教えてくれました。   その本人に電話を掛けて 『 オンマのお爺が亡くなったよ。』と伝えると 『 誰が死んだって?』と ピンと来ない様子でしたが、 お爺さんの顔を一足早く見に行くと 『お悔やみを・・・ 』 の言葉が出ずに 『 つやつやで皺が無くて 良いね。』 『奇麗な顔して 寝てるね。』『喋り出しそうだね。』『息してるんじゃない?』と集っている身内も どうも実感が湧かず、 実の孫達も 息子と同じ様に 『誰が死んだって?』と言ったそうです。
神式の葬儀だったので ちょっと勝手が分からなかったのですが、 お爺の実の3人娘の 更なる末っ子の4女として 主人とと娘と共に お通夜と告別式には一緒に居させてもらいました。  帰ってこられない息子には 『 お爺さん、立派な骨だと。』とメールすると 『うん、よろしく言っといて。』と返信。  『骨に伝えるの?』と訊ねると 無言の『当然でしょう、(骨になっても)お爺なんだから』と言わんばかりの様子でした。
お付合いも長いので 親戚縁者の方々との 数年ぶりの再会となって 互いの近況報告をしたり 20年位前の話題がに 一番花が咲きました。
神式のお通夜の電燈を消したり点けたり  告別式の曲は 結婚式などの時に聴く曲と同じものが流れ 雅楽は同じものを使うのだと知ると 神聖なる気持ちで遺影を見ながら 初めてお邪魔をした日のことから  忘れていたような事までの色々な事が、想い起されました。    式場の入り口には 懐かしい写真が、沢山飾られて 懐かしい話題となっていたようでした。
安らかに眠って下さい、と言っても きっと言うことを聞いてくれないでしょう。  『 天国で 元気に過ごして下さい。』と 二礼二拍一礼をしながら 呟きました。