廃校のピアノ達を想う


昨日、今日は、お客様のお宅へご連絡をする仕事をしました。   最近は 修理の仕事が多かったり、遠方での仕事も多かったので 帰宅が遅くなってしまったりして  ゆっくりとお時間を掛けてお話をしながらの 打ち合わせが必要なお客さまヘの ご連絡日とました。   時々は、OFF日としつつも その様なご連絡や 銀行や郵便局の窓口へ行く必要のある用事を済ませながら 半日ほどを過ごします。   

そんな 半日OFF日のお天気の好い日は、本も読まずに、 愛犬NOЁL と一緒に ふらりとドライブに出ます。  
先日は 久し振りに 急いでいる時には走らないけれども 風景の好きな道を走りました。  長野県に入って間も無くの風景です。  JR中央本線の管理管区は 県境が近い、我が家の最寄り駅を境に 山梨管区と長野管区に分かれています。  佐久・小諸へと続く 小海線は長野管区です。   こちらは長野県に入って間も無くの 中央本線の架橋なのですが、 それと平行して〜

中央本殿の現在でも残る 単線時代の線路跡です。  柱を支える土台は 味のある石積みがされています。
中央自動車道路も 全線開通するまで 細切れ開通でした。  その間の下道が、砂利道であったり 国道も 現在のようなバイパスが通っておらず、古い集落の間を通る、昔ながらの街道区間もあったのは 然程遠いことではありません。

廃校になった息子の通った中学校です。  
現在は 世界に既に認められている 太陽光発電の研究が、行われている 知る人ぞ知る会社が利用しています。  決して大きな会社ではないのですが、 1/1000mmの単位を探求しつつ 製品を作り出す、スーパー職人の集団のその技術は 多方面に亘って 世界へと通じていて 職人の我が家の憧れの企業です。   現在の社長は、東京天文台で働く父上の仕事をする背中を見て育ったそうですが、現在社長を勤められていらっしゃる、元は身内の営む会社へ入社されたそうですが、 遠くで輝く星の観測の為に必要とされている技術などを応用されて 様々なアイディアを精度の高い工作技術によって 実用化してこられた方です。
その事を聞いた時には 『 山葉寅楠の生い立ちと似ているな〜!』と思いました。
ジャンルは少々違うものの 息子にも こんな会社で 腕や知識や知恵を磨いて欲しいと思う、そんな会社です。

南アルプスを毎日のように眺め、 冬場の授業を受ける教室で座っていた椅子のパイプに掛けて置く 掃除用雑巾が、再びバケツの水に漬けられるまで凍っていた事も想い出に 四季折々の季節の変化を肌で感じながら巣立って行った卒業生達は、校舎が無くならないで そのまま利用されている事が大きな支えとなっているようです。

この夏に 大学生となって家を離れた息子が、1つの節目の時を過ごした母校跡地に立ち寄った時に 『 これ、俺が作ったプレートだよ。』と教えてくれました。   校庭と校舎の間の庭の木々それぞれには、息子達の学年が技術の時間に作ったプレートが立てられてありました。

自分が作ったプレートと その樹を見上げながら振り向くと そこにはかつて立派な白樺が立っていたのですが、『 白樺・・・ 傷んじゃったんだね。 でも切り株に あいつのプレートが立っているよ。』と ちょっと寂しそうに でも嬉しそうに クラスメイトが作ったプレートを眺めていたことがありました。

入学時に出会った校長先生は 英語科の先生でした。  個性的な息子をとても可愛がってくださって 何かと支えて下さる存在でした。  かつてドイツの日本人学校の教壇に立たれた経験もお持ちの方で 当時、最も息子が心を許せた人だったと思います。  在学中は ネイティブの英語圏の国々からいらしていた先生方と共に 息子の善き理解者でした。  昨年春に退職をされましたが、現在は オランダの日本人学校の教壇に立たれていらっしゃいます。   

用務員さんのテッちゃんも 息子をとても可愛がってくださった方でした。   学校の裏では 生徒達と椎茸を栽培したり 梅林では立派な梅の実を育ててくれて バザーでの販売もありました。   標高が高い土地なので プールを使う体育の授業は 極僅かなのですが、 使用しない時を利用して 『合鴨を飼ってみたいな〜!』とテッちゃんが言いだしたそうで 我が家族に 合鴨がいる息子は 『家の鴨をプールで泳がせようよ!』と言いだしたことがありました。   我が家の合鴨たちは F-2 ですし、小さな頃から足が届く深さのタライの水の深さしか経験が無いので 足が届かないプールでは泳ぐ事が出来ない事を とても残念そうに語り合っていた事もあったようでした。 

入学して間もない頃に 『お母さん、体育館のピアノは 【ディアパソン】って書いてあったよ。どんなピアノなの? ちょっと音を出してみたけど とっても狂っていたんだ・・・。 でも、好い音だと思ったんだよ!』と 話をしてくれたことがありました。  不思議な学校で 小さな音楽室には 大きなグランドピアノが、3台置かれていたように思います。  そして体育館には 小ぶりの 息子曰くのディアパソンです。  息子には ディアパソンの説明をしたことがあります。  作られた年代で 随分と差の大きな楽器ですが、 設計者の大橋幡岩さんのことも話をしました。  既に忘れてしまってはいる事と思いますが、 レッスンに通った事があるわけではないものの 簡単な和音を見つけながら 時々はピアノを弾いてきている息子は、学校にあった古いグランドピアノ達を 1台1台の個性を聴き分けながら とても身近に感じていたようです。
卒業前に 『 音が、微妙に変で 可哀想なんだよ・・・。 廃校の噂があるけれど ピアノ達は どうなるのかな・・・。』と呟いた事がありました。
ディアパソンのグランドピアノが、とても気に入っていた様子は その時にとても印象深く感じました。