欲では無く、先人達の仕事を守る

今年の夏は、とても不安定な天気が続きました。  不思議な動きをする台風が幾つか通っていきました。  特に山梨は盆地なので 台風の直撃に遭う事は少ないのですが、1つは県庁所在地上空を通過していきました。
標高が高い場所での生活は 雨や雪などの多そうな時には 先ず、ガソリンを満タンにします。  子供達が小さかった時には 高速道路を走って 夜中でも病院へと行く事が、何時起こるか判りませんでしたし 大人でも体調が急変したり、怪我などをしてしまった場合に 救急車が来る事ができない場合に備えています。
台風の話に戻りますと 不思議な天気図を見ても判りましたが、想像以上に速度が、とてもゆっくりで 想像以上の雨量を齎しました。 

丁度、あるセミナーの最終日に その様な動きの怪しい台風が、関東地方を のんびりと通過する事態となりました。   予定では、皆さんと 清里清泉寮を中心に ポール・ラッシュ博士の功績に触れて頂いたり、山の風景を楽しむ予定でしたが、どうも怪しい動きの台風の様子では そんな事をしている前に 各自が帰宅しなければ、更に数日間を滞在する事となりそうでしたし、「帰るならば今しかない!」と言うような 首都圏近県の交通情況でしたが、 運休が得意の身延線は 大事を取って 逸早く運休に成っていました。
そこで 急遽、静岡県三島市まで 先生をお送りする事となりました。  ガソリンを満タンにしておいて好かったです。   富士山の裾野を走りましたが、見えるのは駐屯地の自衛隊車両くらいで 緊急とは言え、折角のドライブも グレーの世界で覆われていました。   お送りした御宅には 50年程前の【 カイザー 】と言うピアノがありました。   フランス在住のお嬢さんが、小さな頃に弾かれていらしたピアノでした。
今回は そのピアノの調律で 先生のお宅へお邪魔をしました。  前回伺った時には、グレー一色で  ご当地の風景すら楽しめなかったので ちょっと早く着くように家を出て 知る人ぞ知る、
【 妙法華寺http://www.myouhokkeji.jp/ に立ち寄りました。

観光地化していない 山の中のお寺ですが、1284年に 日蓮の弟子の日昭によって 鎌倉に建立されたものの 数々の戦乱に巻き込まれて 1621年に現在の地へと移転した、日蓮宗の本山の1つです。   徳川秀忠の朱印地として 50万坪の土地が寄進されたそうです。
徳川家康の側室の養珠院・お万や 大田道灌の曾孫の英勝院・お勝が、寺の再興に力を注いだそうです。
寺のほぼ中央にある 《 お万の方 お手植えの桜 》です〜
  今度は この桜が花を咲かせている頃に 来たいな、と思いました。  

その様な所縁あるお寺なので 百軒の白壁で囲われている境内の中の庭は、独特な仕立てで 実に見事です。  

そして 探してみると、ありました。  瓦には 葵のご紋です。

火災に合って 再建されているそうですが、 この鐘楼は 離れている場所にあったために 火災を真逃れているそうです。   最も古い建物と言うことなので 暫く眺めていましたが、 各地の秀忠の時代の寺院を見る機会が多い今年ですが、 実に興味深いものでした。  残念な事に 第二次大戦時に 当時から打ち響いていた鐘は 供出されてしまって以来、鳴り響く事はなくなってしまったそうです。   この鐘楼の直ぐ近くには 太田道灌の 太田家の墓がありました。  お勝殿もここで眠られていらっしゃるのでしょうか?

先生のお宅へ伺いますと 《 ルバイヤート 》の新酒と《 月の雫 》と言う 旬のお土産の話題だけでも 話が尽きず、 奥様にお茶を勧めて頂きながら この2つのお土産に共通する 《 甲州 》と言う江戸時代から栽培されている葡萄の話題になりました。  どちらも山梨の老舗ブランドです。
六代将軍として成る為に 家光の孫の江戸城主が、江戸へと上がった後を 先日のブログでご紹介をしました 五代将軍の側近の柳沢吉保が城主となります。  この吉保の息子の時代に 甲州葡萄の偶々の失敗作から《 月の雫 》は誕生して 謙譲されたお菓子です。   柳沢吉保と聞くと 東京の人は《 六義園 》を直ぐに思い出します。  六義園は 非常に計算をされて作られた庭園でしたが、廃藩置県後に荒れてしまっていたところを 三菱財閥岩崎弥太郎氏によって買い取られて 後に都ヘと寄贈され、公園となりました。   山手線沿線には その様な岩崎家によって再整備された江戸時代からの多くの庭園などが残されています。
モエシャンと言うお母さん猫のいる御宅で ランチをご馳走になりました。   ここでも話題が尽きずに 折角作って頂いた温かいお料理が冷めてしまうほどでしたが、 《 ルバイヤート 》を開けて 乾杯しました。
調律をした【 カイザー 】は 河合楽器店と言うKAWAIの社長の弟さんの楽器店が、YAMAHAに作ってもらっていたブランドです。  先生のお父さまは YAMAHAの家具を手掛ける方でしたので 調律カードに書かれてある 河合楽器店 をご覧になった奥様は、始めは驚いたそうです。   都内在住の時に『 神田川の氾濫に 2回もあったから 三島に来る時には処分しようかと思ったけれど ピアノを弾く従姉妹に 「こんな好いピアノを捨てるなんて!」って怒られたんだよ。』と ふやけた形跡のある外装を眺めながら お話して下さいました。  ご家族のアルバムの1冊でもある幸せなピアノです。  調律カードには 私がお世話になっている先生のお名前も残されていましたので それも又話題となりました。
作業が終ってからも 話題が尽きず、 『僕のね、伯父はね、オリンパスって言う会社でね、変わり者だったらしくて 内視鏡を作った人なの。』と言われるので 『オリンパス内視鏡は 世界シェア70%になったものですよ!』と言うと 『そんなに凄い物になっちゃったの! 』と 今は昔と言われる時代をタイムリーに活きて来られた方にとっては、現在では当り前となっている物事の魁に多く関わられて来られている事が、多いものです。
『暗くなっちゃったね。』と言いながら 車まで見送りに着てくださった先生が『奇麗なラインだね〜!』と 愛車のアベンシスの姿を何度も何度も褒めて下さったので 『お嬢さんの住まわれている フランスの工房のデザインで イギリスで作られたトヨタの車ですから 派手ではない個性があるので好きなんです。』と 又お喋りが止まらなくなりました。   間も無く、ピアノの音が聞えてきたのですが、 私がお邪魔をしている間は触れようとしなかった奥様が弾き始めました。