研究会での清水和音コンサート、そして又ワイン♪


所属している 社団法人 日本ピアノ調律師協会 関東支部の秋の研究会に参加しました。  今回は 清水和音さんによる 時代を追っての作曲家の作品をタンの出来るリサイタルです。  子供の頃から レコードや 歳の離れた姉が弾いているのを耳で音を追っていた名曲ばかりなので それらの曲を 清水さんの演奏で纏めて聴ける事は とても楽しみな日です。   更には 少し前に 何かの拍子で 久し振りに連絡を取った姉が『清水和音さんって 有名な方なの?』と とてもピアノを長年弾いていた人とは思えない事を言い出すので 『 お姉ちゃんは ずっとピアノから離れていたから 丁度その間の人だから ピンと来ないと思うけれど、ファンの多い方だよ。』と 話すと 『(甥っ子)Tの高校時代からの親友のお父さまなのよ。  大学は別々になったけれど、今でも仲良くしてもらっているみたいよ。』と言い出すので 『研究会で 演奏してくださるから チケットを送るね!』と 話をしました。

AM9:00〜 協会員は コンサートの準備する調律師の仕事を見学できる研究会でもありましたから 海の日には 駅の反対側の 野口英世記念館での タテさんのLIVEの仕事には 車で来たのですが、 たまには美味しいご飯と美味しいお酒が飲みたくて 朝一の特急よりも早く着ける 始発5:44の鈍行を乗り継いで 千駄ヶ谷へと向かいました。   このところ JRを使う事が多くて 《 えきねっと 》の 得割35の安さに興じています。   鈍行を乗り継いで 千駄ヶ谷まで行くと ¥2960でした。  帰路は あずさを使いましたが、指定席で¥3600です。  その差額 ¥640には うなってしまいました。
仕事道具は 鞄1つだけでも 10kgもありますから JRを使うときは 確実に座れる指定席を取ってはいましたが、駅構内や乗り継ぎ在来線などの移動がラッシュ時には 非常に邪魔にされて 『邪魔だな!網棚に乗せろよ!!』と言われることもあります。 『乗せられるものなら 乗せて下さい。』と 身動きが取れない車内で言い返したことも かつてはありました。  笑ってしまいますが、その様な発言をした相手は 階段を下る際などに ワザと鞄を膝蹴りしていきます。  しかし恐るべし10kgの工具鞄《サムソナイト》は 見た目は軽そうでもビクともせずに 蹴りを入れた相手がウズクマルこと 多々。   

AMの研究会終了後、待ち合わせをしていた甥っ子Tは来れなくなったものの その姉のHが来れるとの事。  ナースをしている彼女は 不規則な生活リズムと 残業の多い日々なので 2人だけ出会える事も非常に珍しいので コンサートを楽しんだ後に 一般人には理解し難いナースの世界の愚痴話でも聞きながら ワインを飲もう!と思いながら 新宿御苑を散策しました。
東京に住んで 会社員として調律師をしていた頃は 未だバブル期だったので 広範囲で色々な所へは行きましたが、余りにも忙し過ぎて 散策する事が出来ずに通過していた所がたくさんあります。
新宿御苑も 山梨に越してきてから知り合ったN先生が『 昔ね、うちの主人は新宿御苑に住んでいてね、高遠城疎開していたのよ。』と 興味深いお話をしてくださったのです。   高遠城址公園の近くへも 良く行きますが、  1人で 時間調整や 仕事の後に 桜見物ではなくても 散策していましたから  お話を伺ったときには 驚きました。 

都内に住んでいると 新宿御苑は ソメイヨシノ開花宣言や 恒例の天皇家所縁のお祭ごとを思い出しますが、その昔は 長野県になる前の 高遠藩内藤家下屋敷だった所です。

第二次大戦で その多くの家屋は焼失してしまっていますが、生き残っている木々は その時代を感じさせる剪定作業が施されていたり スケールを感じさせます。   新宿御苑の前にあった大木戸門は 甲州街道の関所の1つでした。   日本橋を拠点に 江戸からの街道を整備した徳川家康ですが、 万が一に備えて 甲州街道は 江戸から甲府城へと逃れる時のルートとしていたそうで その整備の仕方は 他の街道のものとは違っていたそうです。
この日の新宿御苑は 天気予報の雨、とも違って 山岳地帯風に言うと『ガスって』いました。  パラパラと雨が落ちてくるものの 思った以上に気温が上がって 霧に包まれてしまい、ロングヘアーながらソバージュのように成ってしまいました。


開演に間に合わなかった姪っ子ですが、 メールで座っている席を知らせてあったので 1曲目のヴェートーベン・ピアノソナタ《悲愴》が終ってから 直ぐに会うことが出来ました。   『 今ね、弦が切れちゃったんだよ。』と話すと 『外のモニターで見ていたけれど、受付の人達が「切れた!」って 騒いでいたの。こんな事ってあるんだね!?』と ハプニングもモニターながら 見ることが出来たようでした。
コンサートを聴いていての断線は 今までに何度かありましたが、 多くの場合には演奏に大きな支障がなくて そのまま終演を迎えていましたが、 今回は 1楽章始まって間も無くであった事と 比較的に多く使われる音でもありましたし 他の弦の上に 断線弦が遊びに行ってしまって チェンバロの様な音になってしまったこともあり 清水和音さんのお人柄なども合わさって 1楽章が終ると ヒョコっと立ち上がって 切れた弦を眺めてから アレレ・・・ と苦笑しながら 遊んでいる弦をチューニングピンに グルグルっと撒きつけて 客席からの大きなドヨメキと笑いを取って ニッコリと微笑まれてから 座って 何事もなかったかのように スローな2楽章に入り そしてハイテンポの3楽章へと進みました。   午前中に 既にそのピアノの音を聴いてはいましたが、 コンサートが始まった瞬間に 『清水さんの調子が悪いの?』と思う様な ピアノ全体が鳴らない変な様子でした。  しかしながら 弦が切れてから 次第にピアノが響き出して 本来のピアノと 清水さんの演奏の音へと 急変して行きました。   山の中でのコンサートでは ピアノの環境の変化による変化が、常に付き纏うものですが、都内のコンサートでは ここまで変化していくピアノを見るのも珍しいかもしれません。
急遽、予定を変更して 清水和音さんのトークを挿みながら、 担当調律師は 急いで張弦しました。
ショパンや シューマンや リスト〜 と、とてもバラエティーな曲の数々でした。   ピアノ曲や クラシックをあえて聴く事のない方でも 必ず聴いた事のある曲ばかりでしたので 音の出し方や タイミング的なものが、非常に個性的な柄も 古典的な要素を多く含んでいる演奏だったので 沢山の亡くなられたピアニスト達の顔が、曲の流れと共に浮び、名演奏を LPで聴いていた時の事を想い出しました。
清水和音さんから見た昔の大作曲家たちのお話は 『友達になれたと思う』『多分、友達にはなれなかったタイプだと思う』と、ユニークな表現で ニュアンス的にイメージを膨らませながら聞けた、楽しいお話でした。  姪も 『クララ・シューマンの話が出たけれど 叔母ちゃま、何か好いCDがあったら教えてね!』と 喜んでいました。

CHACOあめみや

食べログ CHACOあめみや

そして 女2人で 『たまには、美味しい物を食べに行こう! 日曜日だから 神楽坂のお店はお休みだけど 千駄ヶ谷に行く、って言ったら ルバイヤートの方が教えてくれたお店が在るから』と ステーキハウスに行きました。
海の日のLIVEの打ち上げの時に行ったカフェレストランの前を通ったので 『夏に ここで一緒にご飯を食べたタテさんは、今日は石垣にいるんだよ。 だから去年のインターハイの時に 紹介してもらって行ったLIVEハウス兼JAZZバー《すけあくろ》のヒャクちゃんに ヨロシクってメールしたら 向こうは未だ暑いんだって。』と、そんな話から始まりました。 
メニューを選びながら お店に方に 丸藤さんからの紹介で、山梨から来た事を伝えると ユニークなローカルな話になりました。
『今日、山梨まで帰るの?』と 山梨出身のマスターが尋ねて下さったので 帰る事を伝えつつ 姪っ子の家のことを話すと、 マスターのご自宅と実家がとても近くて 『あそこの駅ビルの中のお店にね、美味しくて 大きなアイスクリームが食べられる所があるの、知ってる?』と 更に神奈川ローカル話になりました。 
素敵な音楽を聴いて 美味しいワインに 美味しい料理に 楽しい会話〜♪  姪っ子と一緒に お酒を飲む日が来るなんて 夢にも思いませんでした。