出会い♪

去年のことなのですが、調律師協会関東支部本部での研究会に出席した際に 以前から行きたかった都内の名所の数か所へ立ち寄りましたが、不思議な出会いが続くものです。  一期一会という言葉がありますが、『何をやっているんですか?』と自分から声を掛けてしまうことも少なくなくて しかしながら声を掛けて頂くことも実に多いのです。
甲府城主だった三代将軍徳川家光の孫が、六代将軍となるために江戸へ上がった後を治めた柳澤家の特別展を見た後だったので 新宿駅から山手線に乗って 《 六義園 》へ行きました。  五代将軍の後見的な存在だった柳澤家の下屋敷だった庭園は 後に三菱財閥の岩崎家によって管理され 東京都へ寄贈された庭園です。 東京に住んでいる頃は いつでも行ける場所〜というような感覚で 前を通過していましたが、東京の歴史が身近な場所で現存している貴重な所の1つだと 改めて感じるこの頃です。

以前に ここでの出来事をブログに書いたように思うので 簡単にお話をしますと 80歳の女性とお友達になれた場所です。  歌を詠まれているそうで お手紙やハガキで届けて下さるようになりました。 一緒に 庭園内を巡りましたが、足元の悪い場所も多いので 手を繋いで歩きました。 『見ず知らずのお婆さんと こんな風に手を繋いで歩いてくれて 身の上話まで聞かせちゃって〜』と 何度も何度も言って下さいました。 『声を掛けて下さったのは、お母さんからだもの。亡くなられたお父さんのお人柄が伺えて だから楽しかったです。』と。 途中までJRもご一緒して 私が先に降りる時には、別れを惜しんでくださいました。

岩崎家の庭園序に 《 旧岩崎邸 》にも立ち寄りました。  ドラマや映画ロケ地に使われる場所なので見覚えのある方も多いと思います。  内部の撮影ができないのでアップすることが出来ないのが残念ですが、上野からも直ぐの場所なので 東京へ行かれた際には 是非ともお立ち寄り下さいませ。  以前に都内の土地勘のある人からも驚かれたほどに 超過密な上野のお山の散策を数日分に分けてブログに書いたことがありますが、特に江戸末期から明治に大きな出来事の多かった場所なので 1週間位掛けて散策したい一帯なのですが、それほどまでにも古い興味深い所が多い東京です。

お茶の水の協会本部の近くにも 神田明神や 儒学湯島聖堂や ロシア正教復活大聖堂のニコライ堂があります。 更に細かく書き出すと限が無い位に 興味深いものが多くある場所です。
ニコライ堂にも 時間調整で立ち寄ったのですが、入場拝観の時間が僅かに過ぎてしまっていたので 建物のつくりや ニコライが、函館から日本の土を踏んだ時から ミッションスクールを設立して この大聖堂を建てるまでのことを思っていると 『ここは関係者の人しか、入れないのですか?』と声を掛けてこられた男性がありました。  直ぐ隣の病院に通院されていて ニコライ堂のドームを上から眺めてはいたものの 初めて門の中へと入られた日でした。  「宗教的なことには興味がなかったから 今まで来られなかったのかな!?」と思ったのですが、博学な方で ロシア正教の衰退のことや だからこそ現存するニコライ堂のシンボル的な役割は、『建てられた当初のシンボル的な役割とは違ってきているのですね。』と 楽しい歴史的な話題に至りました。 興味がなければ、その日も立ち寄ることはなかったことでしょう。 偶々、立ち寄られた日が、その日だったのですね。   駅までを一緒に歩きながら 男性の住まわれていらっしゃるご近所の東京ローカル話をしたりしながら 『明日はね、バスに乗って スカイツリーを見に行くんです!』と とても嬉しそうに話をして下さいました。  そして『こんな風に出逢えたことって 素晴らしいご縁だと思っています! きっとまた何処かで再会できると思っています。 有難うございました。』と 繰り返し言葉にしてくださいました。  一期一会のご縁で頂いた言葉が沢山宝物となって 心にある私は、幸せ者ですね。

一期一会ではないのですが、『ピアノの延命のための管理と、安住の地を探して欲しい』というご依頼が少なくないのですが、ちゃんとそのピアノ、そのピアノに合った場所が 自然と見つかるものです。  このピアノは1865年生まれで ご家族とともにハンブルクから来ましたが、訳あって その様なご依頼をいただいたのですが、今は高齢者の皆さんと一緒に讃美歌を奏でています。

時にはお世話になっている楽器店の社長が『内容は悪くないけれど ブランドや年代的に売り難いピアノが入ったけれど 要るかな?』と連絡を下さるのですが、そのタイミングの良いこと! そんな風に出逢ったピアノが、毎年のように 音高生を生み出す切っ掛けとなっていたり 居場所を失った子供たちと向かい合ってくれて 一緒に時間を過ごしてくれています。   そもそもは体調を壊して通学出来なくなった息子が、『友達が壊れたキーボードを弾いているんだけれど とても上手なんだよ。 だから 何とかピアノにして貰えないかな?』と言う提案からだったのですが、特殊な場所なので設置に関しての許可や ピアノの移動費用などをクリアーしなくてはなりません。 設置に関しての許可は勢いで『OK』を貰って ピアノを譲って頂く際に引き取りの搬出代金と 設置の際の搬入費用は 業者間でのお願い破格値にして貰いましたが、それでも万単位の費用は動きます。  でもそんな時に ちょっと大きな仕事をやり遂げて 懐は温かくなるもので 家族で美味しいものを食べることも一つですが、『そんな風なお金の使い方も好いよね!』と家族で話をしたものです。 
これも昨年のことですが、子供たちと過ごす1台のピアノの調律に伺った際に『そんな、申し訳ないから…』とお断りをしたものの 『この日のこの時間に必ず来てくださいね!』と念を押されて もう1台の別の場所で子供たちと過ごすピアノの調律に伺いました。  悪い意味でなくて「今頃ながら どうして?」と家族とも話をしたことだったのですが、『(前文略)児童生徒のためピアノを寄贈してくださいました。また そのピアノの調律を多年にわたって無償で行うなど 子どもたちの健全発達のため無私の精神で奉仕をしていただきました。よって ここに感謝状を贈呈し、深甚なる謝意を表します』と書かれた感謝状を携えて わざわざ各担当主幹の7人もの先生方がいらして下さいました。 『私たちに出来るお礼と言ったら この様な事しか出来ないのですが…』と仰るので 『変な意味じゃなくて ピアノを友人の為に望んだ息子も「今頃になって〜」と電話の向こうで笑っていました。 あの時に出来ることをしただけですし 今でもそうです。すべてに奉仕は出来ませんが、必要だと思った時に 出来る時にやったことですし やっていることです。家族も同じように思っています。感謝状を頂くなんて勿体無い事です。でもこの感謝状を頂いたことは、ここで過ごした息子が一番喜ぶと思います。』とお伝えしました。 序に『本当は この場所は在るべき場所ではないのですが、人が集まれば色々なことが起きます。息子も私たち家族も苦労をしましたが、その分だけ今を楽しみながら自分らしく過ごせています。この場所は、言い方を変えれば 必要な場所となっています。 ここにも通えない子供たちもいますし 相手に通う原因を作った哀しい状態の子どもたちが居る事も現実です。 「学校がすべてじゃないよ」の本当の意味を知る為にも ここは必要な場所ですから ゆっくりと子供たちの笑顔を増やしてあげて下さいね。』とお願いをしました。
我が子たちは大きくなりましたが、ピアノを通して 小中学生たちとの関わりが ちょっと離れた距離からですが、今でも続いています。  調律をしていると 音高や音楽の道だけではなくて 絵を描く子供たちが『ピアノの中ってキレイ!』とずっと眺めていてくれたり 機械などが好きな子供たちは『ピアノの中ってすごいシステム!』とアクションの動きを観察に来てくれます。 毎年、毎年、そのピアノ達との新しい出会いをした子供たちの話を伺うことは ちょっと哀しい事ではありますが、嬉しいことです。