いつもの声。

昨日 17日は 阪神淡路の震災から 17年目でした。  その日は 習慣で時計代わりにつけるテレビのニュース番組を観なかったこと以外は いつも通り。  その日が誕生日の主人と息子と お祝いに晩御飯は何を作ろうか!?と 多分そんな会話をしていたからだと思います。  家族で朝食を食べてから 1歳児クラスの息子を車に乗せて保育園へと向かいましたが、車の中でいつも聞いていた FMのJ-waveのパーソナリティージョン・カビラさんの声が、いつもと全く違っていて 更にはいつも流れてくるような音楽が一切掛からず、兎に角ただ事では無い事が感じられました。  帰宅してからテレビを着けてみると 特撮か!?とも思えるような映像が映し出され 当時は自営業だったので 慌てて仕事をしている 主人と義父の所へと飛んで行きました。

地震などの震災が少ない山梨や長野県でしたが、昨年の3月11日には 前代未聞の揺れを初めて体験した人達が多くて 学校などでも 災害時の安全対策や対応マニュアルが、見直されることとなりました。 しかしながら手段での移動やエリアは限られているので 「万が一」の予測が、折角話し合ったとしても 結果として「想定外」と言われるような内容くらいにしか、イメージが出来ないことが解かり 転勤経験が多い家庭や県外からの移住者、お嫁に来られたお母さん方の意見が、多く出されたことで 学校の先生方も 想定外の外側の部分が、如何に身近であるものの しらなっことが多いか!?を感じて貰えたように思う地域別PTA懇談会もありました。  
これまでは「過保護」と言われる様なことでも その時が来てしまえば「想定外」では済まされません。  先ずは、「自分たちが如何に知らないことが多いのか!?」と言うことを知ることが大切ですね。  「何事も経験!」と日頃から 我が子たちに言いながら「悪いことを経験してこそ 本当の良い事の好さが解かる」とも話をしながら 自分自身でもそう考えていますが、実際には「経験したくなかった…」と思う事柄もあるものです。  それでも経験したからこそ 何年も経ってから 『あんなことがあったね。あの時は大変だったね。』と語り合える日が来るものですが、それも命あってだから語り合えるものです。
昨日は 珍しく標高の高い所は積もらなかったものの 甲府盆地では積雪がありました。  冷え込んだこともあったり 仕事先のお宅へ伺う道中の珍しい景色の変化を見たりしたこともあってか、昨夜ふと いつも子供たちを支えてくれて 膝丈までの雪掻きを一緒にして下さる近所の方のことを思いながら「今年は雪が少ないまま 冷え込む冬になるのかな?」と思っていたのですが、今朝早くに電話が入り 直ぐには出られなかったものの 昼前には その方が昨夜のうちに亡くなられていた知らせの電話でした。  

随分と子供たちと一緒に 語らってくれた方でした。 息子が体を壊して学校に行けなくなっていた時も 世間の人は『不登校児』と呼びましたが、『行きたくても行けなくなるほどに 頑張ったから 体を壊したんじゃやないかなぁ! 聞きたくないようなことも言うバカな大人も居るけど そんな奴らの話は聞くもんじゃないぞ!』と言ってくれたものです。  一人で通学していた娘にも 『元気出せよ!』といつも声を掛けてくれていました。 そして 息子は 先日ブログに書いた県の施設へと 1年ほど通いましたが、 雪が酷くて JRが不通になってしまったり 早く帰宅した時には 自分だけ家に居る時でも その方と一緒に雪掻きをしていました。  ある日、『お宅の息子によ、「お前んとこの父ちゃん母ちゃんは 出来る時に人の分まで雪掻きしてるけど お前も子供なのに 色々なことを考えて 自分から雪掻きするなんて 偉いな!」って言ったらよ、「親の背中観て育ってます!」って言ったんだよ。』と 嬉しそうに話してくれたことがありました。  車が通行できる位の雪でも 踏みつけてしまうと ワダチが3本になってしまって 車がすれ違えなくなってしまったり 根雪になって春まで解けずに 子ども達や高齢者が、歩行で通行する際や 郵便配達のバイクが転倒したりと 危険な個所が出来てしまうので 先にそんな場所の雪を掻くようにしていたのです。  町道までは 役場からの予算で 重機による雪掻きをして貰えますが、そこそこの世帯数があって 通学道路となっていたり生活道とされていても 豪雪地帯地帯の長野県とは違って 雪をなめている山梨県です。  大雪が降って 翌日が快晴となった時の雪掻きは かなりの汗をかくので 結構楽しいものですが、八ヶ岳颪が吹き荒れる中での作業は 帰宅してから お風呂でゆっくりと身体の芯を温めないとならないほどです。
今日は お風呂に入っても温まらない心の穴が出来てしまっています。