出逢いが必然的だったと思う事が続きました♪米満3尉の金メダル

トンボの姿、ススキの穂を見かける季節となりました。 その空気が澄んできていて 紫外線が強くて 顔面が日焼けで ピリピリと痛みます…。

少し前の事ですが、新規のお客様からのお電話だったのですが、「ピアノ2台の行先を見つけて下さい!」とのご依頼でした。 お話を伺うと お引っ越しに伴って 2台のピアノの行先を 処分では無い方法でのご依頼でした。 お客様のお知り合いの方への譲渡が、一つなのですが、身近での譲渡は 欠課としてコンディションが好ければ「OK」で丸く収まりますが、悪ければ 大変な事態を招く恐れがあります。
2台のピアノの様子を拝見させて頂きました。 昭和46年と48年生のピアノでしたが、どちらもコンディションはとても良くて 1台はお引越し先への移送として 1台の行先をちょっと思案したのですが、木目であったことから 以前から「弾けないけど ピアノが有ったら好いな」と言われていらした方宛てに 携帯から写真を送信しました。  ピアノと言えば「黒」のイメージが強い方が多いと思いますが、古くから海外諸国のピアノは木目が多いのと 最近の家のデザインやレイアウトからして 木目は価格が高くなるとしても 家の作りによっては、存在感が当然の事の様に馴染む場合もあって ある方へ写メールを送信しました。  不思議なご縁があって その写メールが切っ掛けで お嫁入り先が直ぐに決まりました。

山梨から嫁いだ先は、京都府との境の滋賀県です。 37年ぶりの調律でもあったので 内部の劣化破損も どうしても生じてしまっていましたので 内部機構のアクションを持ち返って 本体は先に送ることとしました。   お盆休みなどもあって 搬入日がなかなか決まらなかったのですが、アクション修理には ちょっとした実験も出来つつ 修理完了して お届けしつつ 調律に伺いました。
何と言っても 37年ぶりの調律ですから 何が起こるかわからないので 取り敢えず日頃から持ち歩いている工具や部品と共に この25日〜26日と宿泊させて頂きつつも お伺させて頂きました。

アクションは修理をしたので 本体とのセッティングですので 比較的に短時間で終わりましたが、音程は 半音〜1音下がって仕舞っていて ピアノの弦も切れる可能性もありますから 一応は 掃除や 下書きのような「下律」をしながら点検などをしましたが、大きな問題も無く 2時間ちょっと掛けて3回弱の下律 混み 本律の調律で 結構なまとまり方をしてくれましたが、逆の言い方をしますと 本来の状態からアンバランスな状態で馴染んでしまったから 美しくて心地の好い音程へ戻す作業こそが、そのピアノのバランスを 一旦ではありますが、崩しますので 「調整の調律」と その内容をお伝えしつつ仕上げました。

夜には ワインと美味しい御馳走を皆さんと共に囲んで ミニLIVEとなりました。 ヴァイオリンの先生のお宅のピアノは A=440hz とのことでしたが「、直ぐに狂い始めるので A-442hzにセットしました。 日頃のレッスンとも違った環境下で ピッチも違うピアノを使うので 少々の戸惑いもあったようです。
引越しをして 修理をしたばかりのピアノが、新しい永住の地の環境に馴染むまでの時間なども考えてて 暫くは少々のギャップを我慢して頂いて 自動的に狂って行く内容もお話をして 何でも好いから 音を毎日の様に出して頂いての 今後へのご理解とご協力を頂きながら まとめてみました。  眠っていた分を取り戻しつつ 今後は、本来持っている良さを引き出す作業となります。

そんなこんな過ぎ去って行く日々ですが、 子供たちが小学生の頃に 門を叩いた高校の道場に 彼等はいました。 テレビ放送をご覧になられた方は、お気付きの事と思いますが、 当時から全国や 世界での試合に臨む元高校生たちです。
高校からのレスリング指導をされていた高校の監督ですが、特に身体が小さくて 女の子の娘は、困ったのですが、 「兎に角、見て下さい!」と押しかけると 「こんなに小さくても 出来るものだね〜!」と道場を開放して頂きつつ ご指導を賜ることとなりました。 そしてOB達が、随分と小さな子供達相手に サポートしてくれました。
高校生たちの連取する横で 練習が出来た とても恵まれた環境で チームが編成されていき 私自身も懐かしいマット運動や サッカーでやって来た「ラダー」を取り入れつつ コーチ的な関わりが出てきて 体協認定のスポーツマネージャーの資格も取りました。
ゴールデンウィークなどの連休の時に 他校が来校しての合宿では、恩師の監督へのご挨拶と顔が見たいのと 後輩指導や色々とあって 特にOBが集結するのですが、在籍部員よりも多く集まるようなチームでしたから 年功序列はあるものの 誘い合わせてくる姿は、「凄いな〜!!」と 思いました。 当時もう1つ驚いた事は、年間通して 試合や合宿遠征が多くて 特に全身打撲の格闘技ですが、大きな故障者が出ない事です。  筋肉痛になると ちょっと強くなった錯覚を感じたりすることは、筋肉痛経験者にはあると思いますが、 怪我をするような試合運びをして 頑張った事をアピールしようとして 本当に次の試合に怪我をして出られなくなる高校生もいるようなチームも国内にはあります。 

米満の才能や資質を見出して レスリングの世界へ招き入れた監督(左)と 監督の愛弟子の当時は非常勤講師をしつつコーチをしていた(右)、御二人です。
監督はじめ 同学年と先輩のOBで ロンドン観戦へ行った人達は、 国内でのテレビ放送を見ていなかったので ちょっと感覚が違うのですが、 それでも今日は 意見が一致していて 「試合運びは安定していたから 国体の試合を見ているようだった!」です。 Olympicによって 世界を制した米満だからこそ ラストにビックポイントを叩き出す余裕がありましたし 駒赤に笑えるシーンを作ってくれました。
今日は、県内のチビッ子レスラーから 多くのレスリング関係者が集まって 半分同窓会のような状態になりつつ 喜びを分かち合いました。

憧れの人となった人のサインと写真が欲しくて 長蛇の列が出来ましたが、OB達まで 順番が縄ら泣かttので 2ショットの写真は殆ど0ですが、最後の最後に 韮崎工業(興行)関係者の集合写真が撮れて しかしながら皆、愉快な仲間なので まともに同じ方向を見ての 完璧なる写真は結局撮れた人はいないと思います。
朝霞自衛隊体育学校へ戻る米満を列をなして見送った最後には、OBと生徒たちによる胴上げが、本当のシメとなりました。
余韻冷めやらぬまま 現在は職場が異動などもあって変わって仕舞ったものの 当時の関係者に依る監督の胴上げ、そしてご自分の移動日に移動したくない!と 3月31日に涙を流して下った当時の部長先生の胴上げ、勤務の関係で母校で一緒に応援観戦が出来なかった当時のコーチの胴上げ〜と 続きました。
ロンドンへ行って 試合が始まるまでは とても長かったのですが、 試合が始まれば「金だね〜!」と 関係者一同が 金メダルを確信できた米満のメンタル面と 日々の積み上げてきたものが、久しぶりの再会で 改めて感じました。
そんな 米満の本物の金メダルは、恩師ありき であって 米満3尉のこれまでの努力とサポートチームと 愉快な仲間たちの 色々な意味での結晶ぉ重さを感じました。