甲府駅前 《 藤村記念館 》

mukku38682010-10-29

先日、娘の学校ヘ 《記念ピアノ》の 調律に伺った帰りに 甲府駅前に移築された 【 甲府市藤村記念館 】に 立寄りました。
山梨県令(知事)であった 《 藤村紫朗 》の名にちなんで 擬洋風建物の別称を 『藤村式』と呼びます。 『インク壷』とも呼ばれます。 
この建物は、1875年( 明治8年)に 現在の甲斐市亀沢(旧・睦沢村)の 《 睦沢小学校 》として建てられて 昭和32年まで校舎として利用された建物です。   その後、昭和41年に 武田氏館跡の 《 武田神社 》境内に移築されて 資料館として利用されて 改めて、駅前区画整理事業の一環として 今年7月に 移築復元されました。   
 

入館無料の館内には、昔 使われた木製の机と 椅子が 並べられていました。  その前の教卓の横には、小さな《 足踏みリード・オルガン 》が 置かれてあって 眺めていると 「どうぞ 弾いてみて下さい〜!」と 声を掛けて頂きました。  マジックで 『 昭和10年製 赤池 寄贈 』と 書かれてありました。

銀座の 山野楽器の オリジナル商品でした。


現在では この様な《 擬洋風建築 》の建物は、資料館として利用されていますが ある藤村式資料館の 館長さんと 談議しながら伺ったお話では 明治初期の 山梨県内の多くの家々が、『小作』の貧しい 畳なども無い 《 土間 》と《 むしろ 》での生活の中で、《 擬洋風の学校 》を建てる為に割当てられた金額を 借金をして捻出したそうです。   『この様な 学校が出来る前には、教育は無かったと思うか?』と 問われました。  「日常生活の中に 生きる為の 教育があったと思うのですが…」と答えると 『 そう。 農家には、農家の 大工には、大工の知識や 知恵が、子ども達に受継がれていて そこに 《 躾 》を含めた 《 教育 》はあった。』と 話して下さいました。

改めて 日本においての 《 義務教育 》の 全ての大人に由る 『教育を受けさせる義務』と 全ての子ども達が 『教育を受ける権利』についての プロセスと 趣旨を 考える時となりました。