オーバーホールが出来る楽器・ピアノです♪


既に お馴染みになりつつある アップライトピアノの中です。
したの写真は グランドピアノを 調律している時の 様子ですが、 縦型と 平型との 違いは 言うまでも無く ご覧頂いた通りに 弦が張られている 方向性が違います。   

元々は クラビコードや チェンバロ等が ピアノの原型ですが、 より大きな音を! より減衰し難い音を! より表現が出来る楽器を! と 宮廷音楽家だった 《 クリストフォリ 》 によって 作り出された楽器が、 グランドピアノです。    それから開発が進むに連れて  今度は より小スペースでも置けるように! と 始めは グランドピアノのボディーをそのまま 立てた状態で 内部機構のアクションが開発されました。     次第に 工業技術の発展と共に ピアノ内部の フレームが 木製だったものから 半分が金属の 半鉄骨へと変わり 今の様な 鋳造で作られる 金属フレームが使われるようになりました。   最近では 鋳造とは違う 圧縮した圧力によって整形される技術も使われています。    そして 弦も スチール弦に 銅線を巻く事や 斜めに張って長さを保つ技術などを その多くを考案したのが アメリカへ移住して ピアノ製造を始めた スタインウェイ一族で  物凄い数の 《 特許 》 が、取られています。     


此方の写真を よ〜く見てみて下さい。  直ぐ上の写真とは 何となく 違うことがお分かりでしょうか!?   友人が勤めている 修理工房の写真を拝借しました。
これは アップライトピアノの オーバーホールの途中の様子ですが、 アクションを外して 横に寝かせた状態で 弦を外して チューニングピンを抜き取っている所です。   調律の時のチューニングハンマーとは ちょっと違う形の ハンマーで 1本ずつ 丁寧に抜いていきます。   『 電動工具を使わないの!? 』 と 訊かれる事がありますが、 チューニングピンは 日頃から 100kg近い 弦の テンションを支えるように フレーム(鉄骨)の向こう側に有る 《 ピン板 》に押えられています。   ピン板の方も 230本もの チューニングピンを支える為に ベニヤ板の様な木目を互い違いにして貼り合せて 厚みを出して有る板を使っていますが、 チュ−ニングピンを勢いよく回転させて抜き取ると その時の 摩擦熱で 板の穴が、焦げてしまいます。   時間も体力も掛かりますが、 丁寧に抜いていく事で 修理後のピアノのコンディションを安定させます。
バブルが弾ける前の時代… 新しいピアノを買うに近い金額を出しても オーバーホールをして 愛着の有るピアノを弾き続けたい!と 思われる方々が多くいらした 仕事の多かった時代に 修理工房に 務めたかったのですが、 当時は未だ 『 女の子はね… 技術を覚えた始めた頃に 辞めちゃうからね〜。 』 との理由で なかなか希望が通らず、 結局 様々な国々 様々な国産ブランドを扱っている会社へと 入りました。   多くの楽器店で 半分の時間を販売に エネルギーを注ぐ勤務の中で 私の入社した会社は 営業部と 技術部と ハッキリと別れていましたので 販売は 年に数回の セールの時にさせて貰って それはそれで とても楽しくて 内部の説明をして 色々なピアノを弾きことで比べて聞いて頂く事で  午前中の数時間に 『 調律は あなたが来て下さるようにね! 』と 仰って下さるお客様に 何人にも出逢えて  『 営業に悪いから もう売らなくて良いから… 』と  大人しく 書類作成を命じられる事も有りました。   その頃には既に 私の “喋り” は 始まっていたのだと 自分で振り返って見ると ちょっと恥ずかしくも 可笑しくもなります(汗)”   日頃の技術の仕事は ピアノが設置された環境に馴染むような 修理に近いメンテナンスも少なくなく  先日 久し振りに会った先輩とも 『 あの頃の仕事って 半端な量と 内容じゃなかったよね〜f^^; 』 と 戦友とも言えるほどの 仕事内容だった時代を 懐かしく思い出しました。

昔を振り返った序でに 長い江戸の徳川家君臨と共に 将軍達と共に 楽器や 音楽の変化を並べて紹介されている こんな1冊を〜♪

江戸でピアノを―バロックの家康からロマン派の慶喜まで

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