暑い夏がやってきつつあります


東北震災へ 重機などを持ち込んでの支援をされている方々が、 その活動資金ヘの義捐金を募る チャリティー・コンサートを企画され  様々なジャンルの 県内在住の皆さんが集られての コンサートでした。
高原の風が爽やかな 標高1300m余りの 清里の ホール・オブ・ホールズが会場となりました。    開演の14時までのスケジュールに合わせて 朝8時からの 調律となりました。   我が家から 500m程 上っていきます。  途中で 『 写真、撮りたいな〜♪ 』と 思いつつも  時間に遅れないように 車を走らせました。   昼頃に 作業や確認作業を終えて 外に出ると  直ぐに車に乗れない 暑さとなっていました。

帰りに撮った写真ですが、 朝 向こう側から この橋を渡る時に 条件が重なると 《 真ん丸の虹 》 が、 一番上の写真の八ヶ岳の下の 谷間に掛かります。   この橋を作って 道を通す際に 《 ヤマネ 》の通り道の問題が発生して  丁度 鹿も飛び出しやすい場所であったのですが、 《 リス・ヤマネ専用歩道橋 》 を作った道路です。  それなのに 今度は この橋を利用して 自動車専用道路が作られる計画が進んでいます。  山間の道は限りが有るので 峠越えをする大型車が多かったり  事故や 豪雨や 大雪の際には 交通手段を失うので  又 災害時に 物資の搬送ルートなどの理由もあって  広域農道と称された トラクターが走らない  20年前には考えられなかった 綺麗で広い道が増えてきています。  でも 本当に必要な事は理想とは違うこともありますし  『 想定外でした。』で済ませられる 一説には 福島の辺りでも 震度7を越える地震が来ると唱えていた専門家の言うとおりに建設を進めずに 一番低い予想を出した専門家の意見に合わせた 経費削減 入札的な設計も行われています。 


先日 今回の会場となった ホール・オブ・ホールズを中心とした 萌木の村では 毎年 夏に 日が暮れる頃から 芝生の上に座って鑑賞する 《 フィールド・バレエ 》 が 行われています。   今回の震災には 収蔵の 巨大なオルゴールを 東北に運び込み  出演される バレリーナの皆さんが、 奏でられる音楽に合わせて踊られる メンタル的な支援を進行中です。    宮古市から 始められたそうですが、 現地へと向かう道のりの状態が 『 想像以上でね、 何も無い 瓦礫の間に 道だけがある感じでね・・・ 』 と 今回のコンサートの準備の為に 一度戻ってこられていたスタッフから 様子を伺いました。  揺れも大きかったでしょうが、 津波の威力が人々の住む土地を飲み込んだ事も重なって 被害を大きくしている事が 一目瞭然だったようでした。
それでも 雪の多い 冬の長い東北地方ならでは!の 被災された皆さんの 結束力の強さと 明るさを  此方も田舎ながら  その質の 大きな違いを感じられたそうです。  


朝晩は冷え込みますが、 日中の気温が可なり上がってきました。   それでも 少し遅れがちですが、 我が家の庭のあちらこちらでも オダマキ が咲き始めました。

種が飛んで 気ままに花を咲かせています。 

最近 特に 複数の古いピアノ達との付き合いが、濃厚な日々で 古い専門書などを繰返して 必要箇所を探しながら  飛ばしながら読んでいますが、  ちょっと変わった所で キリスト教の元となった ユダヤ教の世界を知りたいと思って  随分前に買ってあった本を引っ張り出しました。   荷本においてのピアノ作りは 100年余りでしかなくて  ほぼ現代のピアノに近い構造となってからです。  簡単に 世界史と日本史を照らし合わせつつ  ピアノの発達を 改めて調べていくと  こんな風に脱線しがちです。

旧約聖書の世界 (岩波現代文庫)

旧約聖書の世界 (岩波現代文庫)

上記は 改めて出版されたものですが、 元々は 1982年出版の人間の世界史15巻シリーズの1冊です。   偶々 古本市か何かで見つけて 衝動買いをしたものです。
以前 何処かの有名な神社で 三角形を 頂点を上下にしたものを重ねて 六角の星を模ったものを見て 不思議に思った記憶が有るのですが、 ユダヤ教のシンボルと同じだったから 気になったのかと  本を引張り出した時に気がつきました。
「 宗教=縋るもの 」 と 思われがちな 日本人が多いのですが、 縋るのではなくて 長い年月を経てきている 物事の考え方の一つとして  様々な宗教が有ると考えています。  だって 自ら行動を起さない人に 神や 仏が 施しをして下るなんて 都合の良い話はありませんから。
娘が プロテスタントのミッションスクールに通い始めた頃に  カトリックのシスターが、 学校の近くの お寺さんに入っていかれる姿を見て とても驚いた様子で帰ってきたことがありました。  ですから 私の母校の 当時のシスターだった校長も 幼い頃から 様々な宗教に触れながら 学んできていたことを話しました。  中には コミュニティーの場とされている方々も在りますが、 信仰 以前に 何故に信仰をするのか!? 宗教が存在するのか!? を考えて 知ることの必要性を 数年前に話しました。  長い道のりです。