安曇野の美術館 散策 3



雨の 安曇野の《 碌山美術館 》の 敷地内に 点在して建てられている 展示館にて 日本の近代 彫刻や 絵画を堪能して  記念の ポストカード等が売られている ショップに入りました。  写真を撮りそびれてしまったのですが、 四葉のクローバーとも アンデレクロスをモチーフにしたものとも思える可愛らしい形の 窓 が、並んでいる ログハウス の建物は 40年ほど前に 学校教育の延長として 地元へ 自分たちが出来る事、 建物を建てると言う経験を積ませる事も 目的の1つとして  地元の子ども達の手で 建てられたそうです。 

そのショップ 兼 休憩所 には 碌山館 を建てた パン屋の新宿・中村屋創立者相馬愛蔵 黒光(こっこう)夫妻や 碌山 こと 荻原守衛の写真などの展示もされています。  モニターで DVD を観る事も出来ます。
長尾杢太郎 の 【 綾瀬川の夕暮れ 】 と言う絵画作品のポストカードが欲しかったのですが、 観たものの印象が好過ぎてしまって 買わずに その他の数種類の ポストカードを買って  建物を出ようとしたときに  この リードオルガン を見つけました〜    YAMAHA の 明治時代末〜大正時代初期の 楽器ですが、 近所の 小学校から譲ってもらったそうです。  11本ストップの 私好みの楽器です。  足踏みのペダル部分には YAMAHA が好んで使った ハープの図柄がありますが、 後々には 鋳物をはめ込まれて作られたものの このハープのモチーフは 木製の為に 摺り減っていました。

この様な メダル のプリントの内容を見ても 楽器を見た感じでも  横浜の フェリスを中退して 巣鴨にあった 明治女学校 と言う ミッション系の学校を卒業した 藩士の娘である 黒光 の 嫁入り道具として  安曇野に持ってきたという時期の物よりは ちょっとだけ後の作品だと言う事は 直ぐに判りました。  この メダル は 上野で開催された 第3回 内国勧業博覧会 と言う その当時の 発明品や 高い技術を持って作られた 様々なジャンルの 自慢の製品の コンクールのようなもので この回には 9万人近くの日本各地の人たちが、 18万8千点近くもの 数の製品を出品しており  賞は上から 「名誉賞」「妙技賞」「有功賞」「協賛賞」「褒賞」の5段階があり  更に各賞の等級が有るので 全部で 14等級の 賞 を競うものでした。  来れはその『 有功二等賞 』 を取ったと言う 物などです。
ショップの方に尋ねてみると 『 そのオルガンならば、 井口喜源治 記念館 に 在ります!』 と 教えて下さいました。



【 井口喜源治 記念館 】 は 穂高神社の並びに在る 小さな記念館です。  どの様な人物の記念館なのか!?は 分からないままに  今日まで 時々 前を通過してきましたが、 まさか そこに 興味深い楽器が 残されているとは 思いも寄りませんでした。
井口 喜源治 は 地元・安曇野で生まれ育ち 松本尋常中学校 に 在席した際に 英語教師だった 宣教師の エルマー氏と出会い キリスト教に開眼したそうです。  後に 現在の国宝に指定された 松本の 開智学校(松本尋常小学校) そして 東穂高組合高等小学校の教員となり 相馬愛蔵 らが キリスト教ピューリタン?)精神の基づいて立ち上げた 東穂高禁酒会 ヘと参加し  自ら 認可を取った私学研成義塾を設立し 34年に渡り 700名余りの 卒業生を輩出したそうです。

黒光 の 持ってきた リードオルガンは  後に 井口の元へ寄贈されたそうで 4年間ほど 使われたそうです。


【 T.Nishikawa 】 と記された 小さな リードオルガンです。  碌山美術館 に置かれてあった YAMAHAリードオルガン よりも 古いもので 上野での 第三回内国勧業博覧会 にて 『 有功三等賞 』 を取った際の メダルのみが、 記されています。   YAMAHAリードオルガンが、 「 Yamaba 」と記して 製造していたよりも 前から 横浜にて 舶来の部品を組み立てての製造をしていた 老舗メーカーです。

数年前に 横浜の歴史博物館で行われた 特別展《 製造元祖横浜 風琴(オルガン) 洋琴(ピアノ) ものがたり 》 の パンフレットにも掲載されている 貴重な楽器です。  その時に 楽器の専門家ではないながらも 学芸員が 楽器を調査しているそうですが、 製造番号が 《 302 》である事や メダルの記されている数などから見ても 明治23年末〜25年頃までに作られているものであると 考えられましたので  記念館の管理者の方に その様なお話を伝えながら 当時の 色々なお話に 花が咲きました。    

既に 音が鳴らなくなってしまってから 随分と経っているそうですが、 もしも直すとしたらば 出来るだけ 資料価値として保存しつつも 消耗・劣化部品を全て交換して 直すとなると  中古ピアノが買える位の金額になってしまいます。  リードオルガンを専門で直している方々も居ますが、 昭和一桁〜二桁初期頃の ピアノ調律師は 現役で リードオルガンを使われていた時代の 職人たちなので 修理が出来る人たちは まだ多くいらっしゃる事を お伝えしました。 

雨降りの中での 散策となりましたが、 お天気の良い日には見られない 安曇野の姿を楽しめました。  豊科 IC 近くに 白鳥が飛来する場所があります。 以前 仕事の帰りに 白鳥に会いに行った時には 時間帯が合わず  白鳥の姿は 観ることが出来なかったので  今度は ゆっくりと会いに行こうと思います。