様々な接点

今年は 久し振りに この辺りの土地柄らしい 梅雨 です。   苗字 を知ると 直ぐに 転入者 だと分かる 山梨 には 珍しい 名前です。   そんな苗字の 我が家が、 何で 山梨の事に詳しいのか!?と 不思議に思う 土地の方々も少なくないです〜

理由を話すと長くなるのですが、『 面倒臭い時は そう話しちゃいなよ! 』 と言われたことがあります。  現在の苗字は 全国的にも珍しい物ですが、 旧姓は 山梨のみならず 長野県や岐阜県にも有る 苗字 です。   旧姓の ルーツ は 広島の 山の中 の 平家の落人 だったと 言い伝えられている 旧家 で  小さな頃に数回お参りに行った きちんと管理されている 一族の墓が並んだ 専用の墓地 が、在りました。   本家を 建て直す為に解体する際には 錆付いた 鎧兜や 刀などが、 たくさん出てきた事を聞いています。   見渡す限りの土地を全て治めていたそうで その一角だけが、 広島では珍しい 本家と同じ苗字の集落と なったようです。  曽祖父の時代 頃に トラブルに巻き込まれて 随分と土地を手放さねばならなくなってしまい  私が 墓参りに行った頃には 既に その本家の建物と 墓地が、財産として 本家の所有するものだとは聞いています。    その様な話を 山梨に越してきてから知り合った 私の名刺を見て 名前に興味を持たれた学芸員さん達にすると  『 それ、甲斐源氏 じゃないの? 古くから有る名前だもの。  広島の辺りまで攻め込んでいった事が伺える資料も有るよ。  詰まり 「転入者」 じゃ無くて 自分のルーツの 発祥の地 に戻ってきたんだよ、 結婚して苗字は変わっているけれど。 』 と お話をしてくださった方も在りました。
 

何かと 神経を使う様な ピアノ(古い・重たい・搬入が難しい etc.〜 ) の 移動 で お世話になっている付き合いも長くなった 運送屋さんからの 『 ちょっと古いピアノを2台搬出・搬入をしたのですが、ピアノのお話をしながら 調律をしてもらえませんか? 』 との 紹介で伺った お客さまのお宅には ちょっと年代物の とても個性的な 2台のピアノが、ありました。    自他共に認める 喋る調律師 は 2台の ピアノ のお話だけではなく  調子にのって 逆に 音楽とは違うジャンルの 質問 をしてしまった事などもあって 何かと不思議な ユニークな楽器達との  そして 様々なジャンルでご活躍されてる方々との ご縁を繋げて 広げて頂いています。   その延長線上に 8月末 迄に 纏め上げる 課題 を頂いているのですが、 その事も含めて 積もるお話があり  丁度 色々な 品種の バラや たくさんの花が咲き始めた お庭を拝見させて頂くことも楽しみに  更には 便乗しての 《 美味しい贈りもの 》 を頂戴に お邪魔をしました。  
世間は狭いとは言いますが、 何かしらの 接点 を切欠に お話をしてみると 意外な方向に 楽しく話題は広がっていくものですし  「何処かで 既に擦違っていたかも!?」 とも思えるような 出会いもあるものですし  「絶対に接点が無いであろう!」 と思うような出会いが、実現してしまったり  不思議なチャンスは 沢山あるものだと 実感することが、増えています。
何かしらの興味を持って それらを目指して居る人たちは 不思議とご縁が有るもの と 強く感じることが多いです。

写真を見て頂いただけでも 「美味しそうな!」と思って頂ける様な 立派な サクランボ の話に至るまで  前フリ が 長く成りました。
日常生活の中でも 沢山の出会いはあって  ちょっとした事 から 話が 弾んで  頑張れたり 目標を持てることもあるものです。   その様な関わりに対しての 『 日頃の感謝です! 』 と 届いた サクランボ だそうです。   送り主は 某宅配業者の担当者の 青年 なのだそうですが、 彼の 『 日頃の感謝 』 の理由を知った ご家族はじめ 山梨県産の 高級サクランボ 《 佐藤錦 》 の生産者の皆さんが、 この様な立派な サクランボ を 沢山 贈って下さる 支えとなって いらっしゃいました。    素敵な人と人との関わりの 延長線上 には 沢山の 素敵な人たちの存在が在りますね。   出会いと その延長線上にいらっしゃる方々の 存在 を 嬉しく思いながら  自分のお財布では 買って食べることが出来ない 高級な そして 素敵な美味しさを分けて頂きました。    肉厚で 丸々と膨らんで弾けそうに熟した 完熟サクランボ の味は とてもとても甘くて  お顔が分からないながらにも その 贈りものの主である青年の事を思いつつ  桜の木を育てて 実を丁寧に摘んで 彼の思いを知って 箱に詰めて下さった方々の事を思いながら  贅沢な味を堪能しました。  ふと、 遠くに離れて暮している息子とは その沢山の素敵な楽しみを分ち合えない事を ちょっと残念に思いつつ  息子は息子なりに 自分の道を開拓しはじめていて  沢山の方々に お世話になりつつ 可愛がって頂いている様子を聞いているので  贈りものの主の青年と 重なるものを感じました。    


その昔 多くの人のコミュニティーの場となっていた場所で 普及していった 自動演奏ピアノ です。   そもそもは ヨーロッパの方で 発祥したようですが、 後々には アメリカで 発達した 楽器です。   ダンスを踊ったり 歌を歌ったり きっと楽しくお酒を飲みながら 食事もしたことでしょう。
アップライトピアノ がベースとなっているのですが、 パイプオルガンの木管が入っていたり 木琴や ベルや 太鼓などが仕組まれてあって  今のように 簡単に 音楽を再生させることが出来ない時代に  演奏者が居なくても コインを入れると 自動的に音楽が奏でられる 画期的な装置でした。

先日 娘の学校の宗教主任の先生に 『 砂漠地帯で発祥したキリスト教のヨーロッパでの普及について 』 についての 超・簡単な説明をお願いした時にも  『 楽譜が読めなくても 楽器が演奏できなくても 歌なら 真似をして歌えるでしょう〜♪  音楽に合わせて 語るような賛美歌的なものによって 昔の字が読めない人々の間でも 聖書の言葉が広がっていく切っ掛けとなった事もあります。』 と いう内容のお話をして頂いたばかりなのですが、 この様な 自動演奏のピアノは 当時の流行の曲のみならず 賛美歌(信仰する人の多い国々では 日常的なポピュラーな曲です。)も  今で言う ソフト的な 楽譜の代わりとなる ロール紙 等のバリエーションとして 豊富に作られていたようです。  その様な 自動演奏ピアノは 一昔前の ジュークボックス のように 多くの人たちに 楽しみを与えて 愛されたことでしょう。  そして 様々な知識を得る切欠までも もたらしていた事でしょう。

私のブログでは 度々 キリスト教に触れることが多いですが、 未だに 洗礼を受けては居ません。   しかしながら 縁あって カトリック系のミッションスクールでの日常生活に 聖書を学ぶ・触れる時間があり  現在は ピアノ調律師をしながら 西洋音楽と触れていると  クラシック音楽や 諸外国の日常的な 礎 として キリスト教を外すことが出来ない 歴史文化を知る為にも 貴重な知識を学ぶ切っ掛けであったと感じる事が、多々在ります。   神 を信仰する人々が、 世界的に多く在る理由を知るためにも そのバックグラウンドを学ぶことで  島国日本の日常的生活からは 全く想像できない知識を得られます。  そして 日本を知ることも出来るものです。