眠くなるのは暑さのせい!?

暑い日と成りました。  埼玉県の熊谷市は 毎年のように 最も暑くなて仕舞う所なのですが、 久し振りの観測記録を更新して  最も早い酷暑日 38.9℃をマークしてしまったそうです。    毎年その様な状態になう場所なのですから  何とかその熱を利用できないものなのか!?と 思うのです。
昨年の 猛暑のピークの時には インターハイ石垣島に行っていたのですが、 都内の 品川駅は まだ海風が届く場所だったので 『 暑いな〜 』で済みました。   新宿駅に着いてからが大変で  只でさえ アスファルトの余熱の立ち込める 非常に暑い駅構内を 電車の遅れによって乗り換える時間が数分しか無い中を 大きな荷物を担いで エスカレーターも使わずに 特急あずさを目掛けてダッシュしたのですが、 長年 東京に住みながらも  品川と 新宿で これ程までにも 気温の差を感じたのは 初めてでした。 

ちょっと涼しさを感じるようになった頃、 立派に咲いた 《 レッド・レオナルド・ダ・ビンチ 》 の 赤い色が、 夕方の独特な 日の色合いも手伝って  見事に 緑の中で浮き上って居ました。  苗を植えて はじめて見るその花が、 たった1輪であったとしても 嬉しいものです。
 

オリジナルのピンク色の 《 レオナルド・ダ・ビンチ 》 も 虫にやられた蕾を開き始めていました。   そして ふと マジョラム の茂みに中に 蕾を見つけました!  完全に 枯死したと思っていた 《 アブラハム・ダービー 》 が、 細い状態ではあるものの 1本の茎を元気に伸ばして 蕾をつけていました。  地上では枯れていた マジョラム のブッシュが、 辛うじて 遅くやってきた霜から 地中の根を守ってくれたようでした。  無事に咲く日が楽しみです〜

随分と日も暮れ始めて 涼しくなってきた時に  やっと猫達が動き出しました。   標高900mのこの辺りでも 日中は 30℃近く(超えていたのかも…)まで 気温が上がっていたので  それぞれの好みの場所で 避暑していました。   
朝9時の涼しい時間帯に 獣医さんに 狂犬病の予防注射を打ちに連れて行かれた NOЁL でしたが、 嬉しくて はしゃぎ過ぎた事もあってか!? 帰宅してから 徐々に 大人しくなって仕舞って  注射の影響なのか?と 心配になりました。  どうも 帰宅した頃から 急激に上昇した気温の暑さに反応しての様子だったみたいです。
パソコンに向かって 調べ物をしながら 文章作成をしている間中  ずっと側の 動物達が取り合いをする座布団の上で 丸まっていました。   ちょっと体温が高めなのが 気にはなりましたが、 私自身も 動きの少ない作業をしながらも いつも以上に脳みその動きが悪いので 夕方に 様子を見ると ちゃんと走って駆け寄ってきましたし  猫達のように 庭に行きたい!と ウッドデッキ の上で 走り回りだしていました。

暑さを感知していたものは 野生の生き物たちも同じで  気温が下がってき始めてから 餌を啄ばみにやってきました。   娘が、 小学校1年生の夏休みに作った 木の巣箱 を固定していた紐は さすがに切れてしまったのですが、 丁度好い場所に引っ掛り 定位置となっています。  今年も シジュウカラが雛を育てていますが、 狩人 の 猫のチップが、 軽くジャンプをして  巣箱の直ぐ下で ずっと幹にしがみ付いていたので  そのままにすると 彼女の身体能力では ゆっくりと這い上がって  巣箱の中に 手を突っ込みかねないので  慌てて 『 ネコ缶 上げるよ〜!! 』 と 適当な缶詰を スプーンで叩くと  急いで家に帰ってきました。

その 巣箱の下には 小さなトウモロコシが〜 では無くて 万年青 の 花が、咲き始めました。  元々 一鉢だったものが、植木鉢からはみ出す勢いとなったので 小さな株にして  庭の色々な所に植えたのですが、 どれも大きく育ってくれて 秋には赤い実をつけます。   ちゃんと ヒヨドリの餌となっています。

日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ

日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ

城田さんではなくて ウクライナ生まれの ユダヤ人ピアニストです。  《体育の日》の制定された理由をご存知の皆さんには 聞き覚えの有るお名前だと思います。  東京オリンピックの頃まで 活躍されていらした 日本にも17年間住まわれた方です。
[SP音源による]コロムビア・ヴィンテージ・コレクション Vol.2 海外アーティストの日本録音編

[SP音源による]コロムビア・ヴィンテージ・コレクション Vol.2 海外アーティストの日本録音編

世界史や キリスト教を学ぶ上で ユダヤ人との関わりは切り離せませんが、 現代の ユダヤ人 として一般的に周知されている民族とは 少々違うルーツの上に存在しているようです。    長い歴史の中で 様々なジャンルにおいて優秀な ユダヤ人 の方々の中には 各国での混血も多くなり  しかしながらその土地で似たルーツを辿る方々が少なくない様ですから ゆっくりと変わりつつも ユダヤ人として生きられているようです。   民族の違いを 余り意識をしない 島国日本人には 若いにくいことが多いです。  偶々、ある方文章を読んだ際に 『 アシュケナージユダヤ人 』 とあって  音楽好きに人には分かりやすいものであり 分からない人は 「アシュケナージ」を検索して ユダヤ人について学べるチャンスで有ると思いました。   でも もうちょっと加筆したほうが良いですよね。
アシュケナージも 随分と お歳を召されました。  10年程前でしょうか、 長野県のホールでの オーケストラの指揮をしながらピアノを弾く 弾き振りを聴きに行きました。   同じ頃に やはり長野県での トリオ演奏を聴きに行ったのですが、 チャッカリと 楽屋の入口まで入り込んで  贅沢な皆さんのサインを頂きました。   初対面ながら 東京から来られていた調律師に 話掛けて 更には アシュケナージ氏に つたない英語で『 私は 彼と同じ職業です。  ピアノの響きと 弦の響きが 美しかったです。』 とか何とかいってしまった記憶があります。  すっかり アシュケナージ氏は 私が英語が出来るのだと思われて 次の言葉を待って下さったのですが、 結局 私の英語はその程度なので   笑顔でお礼を伝えて お別れをしました。  もっとお伝えしたい事や伺ってみたいことが、沢山あったのですが。
バッハ:ピアノ協奏曲第1番

バッハ:ピアノ協奏曲第1番

絵が出ませんが、20代になって コンクール入賞して間もない頃の若いアシュケナージの演奏です。  日本でブームとなる穏やかな音作り以前のエネルギッシュな演奏です。