冬眠から目覚めた途端に〜♪

やっとスマートフォンが修理から戻ってきました。 「車に踏まれても壊れない!」と言う強度の物ですが、どうやら抑々の中身に問題があったそうです…(~_~;)  10年以上乗っていたマニュアルのRAV-4は、エンジンルーム内の問題があって (高地)寒冷地仕様ながら ヒーターが効かず、エンジンを下しての大手術を受けた事もありますし 現在の愛車のアベンシスも 乗り始めて4日目に こちらが完全に停車しての擦れ違いで コツン…とバンパーを当てられての修理経験がありますが、結局は長い付き合いとなっていますので ある意味で「アタリかな〜?」と思って居ます。

今年は、昨年とは逆に 1か月早く 季節が移り替わりつつあります。 しかしながら未だに雪も舞う事がある程の冷たい風も吹くので 花が咲き切らないうちに 次に咲き出す花が咲くので 我が家の庭だけでも 不思議な風景となっています。
久し振りに 長野県高遠城史公園の桜を観に行きました。 戦国時代からの城跡で その敷地内に 所狭しと コヒガンサクラが植えられています。 我が家の庭にも 10年前に花見に来た際に勝った苗を植えましたが、まだまだ小ぶりな木ですが、沢山の花を咲かせるようになりました。
この《進徳館》からは、明治時代に活躍する多くの人材を輩出しています。

東京藝大の前身の音楽取調所初代学長の伊澤修二は、城跡の直ぐ近くのこの家で生まれ育て 甲州街道を歩いて江戸へと上り アメリカへの留学を果たしました。 ピアノを弾かない方でもご存知の《バイエル》が、日本にやって来た切っ掛けを作ったと言っても過言ではない人でもあります。
スマホが、修理に出されている間に 随分と色々な事があったので その一部をご紹介します。

いつもコンサートなどでお伺いをしている清里のホール・オブ・ホールズで 自動演奏の解体メンテナンスのお手伝いをさせて頂きました。 パイプオルガン工房の辻オルガンで修業をされていた脇田さんが、パイプ箇所その他を担当されて ピアノの箇所は、私の調律の師匠方の兄弟弟子である滝川先生が担当されるのですが、その作業を「お手伝い」と称して 主には見学させて頂く事での勉強が出来た数日間でした。 実技的な事だけで無く 技術者として 色々なお話を伺う事も出来ました。 古いものを受け継いで 守っていく事の意味も 改めて考えることが出来ました。 豊かと言われる現代では、楽器も使い捨てのような感覚で 考えられてしまって居る場面も少なくないですが、ピアノはデリケートな楽器です。 楽器の中では、珍しく 専門に音を整える調律師を必要としますし 誰でもキーを叩けば音が出る!と言われますが、確かに 簡単に音を出すことが出来る便利な面もありますが、「弾くことで 音が、奏でられる」ものです。 《奏でる》と言う言葉の使い方に関しては、諸説ありますが、パイプオルガンは神へ捧げる曲を演奏する物として 「弾く」と言うよりも「奏でる」と言われます。


これまでは、新年明けての第一週目の終末に催されていたヴァイオリンのコンサートですが、今年は 諸事情により 3月末となりました。 年末年始に 誰も居なくなって仕舞って 冷え切って仕舞うホールと ベーゼンドルファーなので 調律に入る前の日から 舞台に上げて置いて貰う様にお願いをして 何とかバランスを整えられる様にしていましたが、人間の身体も同様で 芯から冷え切って仕舞うと 建物も 楽器も 温まるのには時間を要する物です。
今回は、これまでに無く 素直にいう事をきいてくれましたし 調律の時間も多めにとって頂けたお蔭で
いつもは裏ワザで 何とか弾けるようにしていた箇所も きちんと整えることが出来たので ピアニストを軽い腱鞘炎に至らしめる事にもならず、コントロールもし易い状態に出来ました。 
ホールのピアノは、様々な調律師が関わりますので じっくりと育てると言う様な作業とも違いますが、ピアノの癖と言いますか、色々な調律師の癖や好みの様なものを読み取ることが出来るので 多くの事が学べます。 しかしながら 限られた短い使用時間内に作業を終わらせ無くてはなりませんから タッチを変えるための最短距離を読み解く必要もあって その作業の時間を作り出す為には、自分自身の仕事の手順や時間配分に掛ってきます。 毎年 同じ時期に関わらせて頂けるコンサートの仕事は、「今回はどんな顔をして待っているかな?」と ピアノと会う時が楽しみでもありますが、「どの様にしたらば好くなるかな?」と シュミレーションをすることも 良い経験となって蓄積されていくように感じています。 そんな学びのチャンスの有難いお仕事を頂いています。


清里清泉寮で 昨年秋に 友人の披露宴での調律を切欠に出会ったピアノが、実に不思議な沢山のご縁を持っていました。 「(長野県の)駒ケ根から来たピアノ」と聞いていたのですが、飯田市の備品ステッカーが貼られてあって ピアノの周りを一周してみると《追手町小学校PTA一同 昭和35年》と金文字で書かれていました。 私の中では、飯田市と言えば、ミュージシャンのタテタカコさんを思い浮かべるので 直ぐに写メを送信すると 「父の母校です」とお返事が、早々に返ってきました。 スタッフの皆さんに伝えると 「何でタテさんからメールが来るの〜??」と そこから驚かれましたが、ファンが多かったこともあって 「ご縁を感じるね〜!」と ライブを企画して貰う運びとなりました。
当日は、画家の足田メロウさんが、朝からレンジャーと共に子供たちと森へ散策に出かけて 画材を探しての作品を作るワークショップからスタートをして 美味しい特別メニューのランチも用意されました。 数々の賞を受賞してきている地元の北杜高校のギター部の皆さんの演奏も有って そしてタテさんと足田さんのコラボと進み  とても濃厚なイベントの1日となりました。
清泉寮へ ピアノがやって来る切っ掛けは、友人のMeganだった事も判って 私としては、とても嬉しいことが沢山詰まったピアノです。 清泉寮へ来てから数年が経っていて 色々と使われてはいましたが、古くて大きなピアノの実力を タテさんの歌と 足田メロウさんの絵画コラボレーションによって コンサートの足を運んで下さったお客様に喜んで頂けたことは勿論ですが、清泉寮のスタッフの心に届いた事は、嬉しかったです。
おまけの出来事もあって リハーサルをしていると 特にシャットアウトをしていた訳でも無いのですが、若い外国の女性が来られました。 彼女は日本語が全く分からないイラストレーターで 甲府での個展を開くために日本へやって来たそうですが、足田さんのパフォーマンスと作品を見に来ていたようでした。 しかしセッティングをしながらリハーサルをするタテさんの音作りにも 心を奪われたらしくて ライブを楽しんでくれましたし CDをニュージーランドへと持ち返ってくれました。
ピアノが、多くの縁を与えてくれます。 ピアノのお蔭で出逢えて ご縁を重ねて下さる方々に 感謝しています。