訳されて伝わって 再び訳されて判らなくなってしまった事の多さ。


春霞で 山々の稜線が 柔らかく見えるような季節となってきした。  未だに 何かと 「 ○○が どこそこに有るから 送って! 」 と 息子からメールや Tel. が着ます。  高校時代に取った資格の証明書や 賞状をすべて置いて行っていたので  取得資格ファイルと 各賞状をコンビニへ行って コピーをして 序でに必要そうなものもまとめて 郵便局から送りました。   受験時の願書と共に 添付資料として  高校で保管してくださっていた資格証明や賞状は コピーをして頂きましたが、 今回は 更に増えていて 『 国体を忘れずにね! 』 と言われたので 国体オリジナルのケースに入って出し難い賞状や 中途半端な様々なサイズの賞状を束ねて コピーしに行きました。
娘も新学期が始まって 通学証明書が発行されて 定期券を買いに駅まで行きました。  学校からのプリントでは 『 計画停電に伴い、 通学が困難な場合には 保護者の送迎のご協力をお願い致します。 』 と ありましたが、 仕事に寄っては 早朝より県外へ行く事もありますし  そんな場合には 《 公欠 》 扱いでしょう…!? と 何時、行われるかとも判らない 計画停電に 未だに振り回されています。  幾ら 我が家で 節電をしても 計画停電には逆らえず、冬の寒さに弱かったハイブリッド車導入した JR小海線 でさえ 本数が限られての運転なので  内心、「 出席云々の前に 勉学に支障の無いように Fax. なりを使って  長距離通学者に対しての ケアを 私学ならば して欲しい…。」 と プリントを読みながら 新たなる頭痛と疲れに襲われました・・・。
 
我が母校の在学当時ならば シスターの校長が、どの様な判断をしていたのかな!?と 超ミニチュアな母校を思いました。  高校の3年間をお世話になった お母さまが娘の先輩に当たる担任は  11日に 塩釜にて 震災に合いました。   数年前に 娘達と 水戸での 全日本中学レスリング選手権に参加中の起きた 宮城沖地震の時には  多くの試合関係者が、いつの間にかに姿を消していて  試合が終わる頃に戻ってきて 『 自衛隊のヘリコを宮城まで飛ばしてきました!』 と言われて ホテルに戻ってから見たテレビの映像に 唖然とした事を思い出しました。  その時に 直ぐに高校時代の担任とは連絡が取れましたが、 大切にしていた私の母校の美術科の先生が描かれた絵が数枚、壁から落ちて キャンバスのフレームが破損した程度だけれど  そのことで 可なりのショックを受けられていました。

The Little Prince (Wordsworth Collection)

The Little Prince (Wordsworth Collection)

この春から 娘が フランス語を選択するのですが、 色々な事が合わさって 高校時代の夏休みの宿題に シスターの校長自ら課せられる宿題で 《星の王子様 》の英語版の翻訳と製本を思い出した。  元々は サン・テクジュぺリと言う ユニークな経歴の持ち主のカトリック教徒であって 飛行機の操縦士であった フランス人の作品ですが、 英文に訳されたものを 日本語訳をして  オリジナルの挿絵なども加えつつ 製本に至るまでが、 課題でした。
その《 星の王子様 》 が 英文訳されて出版された日が、 今日 4月6日だと 思いだしました。   後々のこの 《 童話 》 の解釈が、 多くの出版物として 世に出回りましたが、 バオバブの木は 三国同盟 を表現しているとか 諸説が少なくありません。  英文となった この童話を翻訳していた当時は その様な事までを考えるゆとりなどは 全くありませんでした。   元々は フランス語で書かれた物が、 英語訳されているわけですから  それを日本語に 翻訳する事は  現代のようなパソコンの有る時代では無かったですから サン・テクジュぺリの生きた時代のバックグラウンドを調べるだけでも 大変な事で そこまで踏み込めれば、 もっと楽しい作業であった事だと 未だに心残りな課題です。

4月4日に アップライトピアノの発達は アメリカにあったことを書きましたが、 グランドピアノに拘りを持ち続けた(!?) ヨーロッパ諸国でも その国々によって 作られるピアノの音質は 全く違います。  今では 有る方面の人間の間では定説となって居ますが、 各国の 気候風土の違いによる所が多いものの 《 言語 》 の発音の仕方による所が多いと 20歳の頃の私は 様々なピアノ達と触れ合ううちに 感じました。
数年前の つい先ごろまで 【 日本国は 単一民族 】 と 教科書に書かれてありました。   島国農耕民族となった 大和民族は アイヌの人達が住む 蝦夷への開拓を始めたものの 寒さと餓えに戸惑って 多くの大和民族の子ども達が、 土地に慣れているアイヌの人々に 我が子の命を託して 育てられる運命を辿っています。   様々な それぞれのプロセスを 自ら学ぼうとして 国内における異文化の発達の原点を知ることでも 技術を磨く事が出来るものだと  様々な土地勘が増えるに連れて ピアノ馬鹿は思った日でした。