石となった太古の生き物達 と 明治の日本人音楽家の 息吹きを感じました♪

上野散策第2弾です〜

今年も 恐竜展 が 色々な所で 開催されていますが、 我が子供達が小学生の頃に 大ブームが起きて  この上野の 《 科学博物館 》 での 恐竜展 では 学芸員さんや研究員さんが 随所に立たれていて  興味津々の 息子は 『 どうやって 恐竜の名前を決めるのですか? 』 等の質問を 沢山していたことを想い出しました。  『 君もね、将来 化石を発掘して 新種と思われるものを発見すれば、 好きな名前が付けられて ずっ〜とその名前で呼ばれ続けられる 恐竜になるんだよ! 』 と言う言葉に 目を輝かせていました。  その年は 巨大首長竜 の《 セイモくん 》 に会いに アイメッセにも行きましたし  山梨県立科学館では 当時の館長さんがユニークな方でしたので  《 ブラックビューティー 》 と呼ばれる 死後硬直をする際に イナバウワー の様な姿となって 化石化した 大きな化石の展示などをしながら  漫画家の 絵画展も催されて  ブラックビューティーに感激した 息子と娘が 『 おじちゃん(館長)に送って! 』 と 感激や感謝を絵で表す事をしていた子供達の絵を送ったら その絵画展の作品と一緒に 展示してくださった 嬉しい想い出もあります。 

今年は D−51 に 迎え入れられての 入館となりました。  Mちゃんは 男兄弟がいないので この様な イベントへは 始めての様でしたが、 意外にも 女子2人でワクワクしながら 『 小さい頃に 映画の「ダイナソー」を見に行った時に 怖くて でも面白かった!! 』 と 『 Moe 食べられちゃうかと思って 瞬きが出来なかった!! 』 と そんな事も懐かしそうに話していました。

基本的に 爬虫類と 両生類が とっても苦手で そのことに気が付いて 獣医学部への道を 早々に諦めた 娘 なのですが、 『 骨と石 なら 平気! 』 と 思った以上に楽しんでいました。
今回は みんなで 居合いにも小さな同じ化石に 興味を注いでしまったのですが、 出口のショップにあった 恐竜ガチャポン をやった娘が引き当てたものはなんだろう!? と 覗き込みながら 『 恐竜の ウン◎ の化石じゃないの〜!? 』 と 一斉に言い出す始末。   以前ならば 卵の化石などに 興味を持ったのですが、 それは卒業したらしく  今回は 「 ウ◎コ の化石から 恐竜達が食べたものが判る 」と言う展示で シャーレに乗った イネ科の植物などの種などを 勿論 肉眼では見えませんが、 『 化石の中から 化石を探してる! 』 と その行程に 興味を持ったようでした。  

目つきの悪い 等身大のレプリカの鯨を眺めながら 館を出ましたが、 工事中なのか!? 『 正面玄関から入れなくて 何だか残念だったね・・・ 』 と 次なる 上野散策へと向かいました。
国立博物館の前を通過すると 公園では長蛇の列。  その先では 先ず 割り箸が配られていました。   炊出しが行われていて 縁石などに腰掛けて 食事をしている人たちの姿に 娘達は随分と驚いた様子でした。  随分と長い間 野外での生活をされているように思われる方々も在りますが、 一見では『 一般的な人 』 と思われる様子の方々の姿も在って  あらゆる幅広い生活形態の人たちが往来する 上野 の風景に うなり声を上げていました。


東京音楽学校 (現在の東京芸大) の 【 奏楽堂 】 です。   明治23年に立てられた 日本最古の洋式音楽ホールです。   丁度 山葉寅楠 が、 リードオルガンを作り始めた頃です。
東京音楽学校が 設立される前に 3年間程の留学をして 西洋音楽を学んできた長野県高遠出身の伊澤修二の写真が、 恩師であって 後に日本へとやってきた アメリカ人音楽教師の メーソンの写真と共に 並べられて展示されてありました。
東洋音楽(邦楽)と 西洋音楽の大きな違いに 苦戦しながらも 習得してきた 伊澤修二によって管理されていた東京音楽学校前身の「音楽取調べ所」ですが、 日本歌曲の 著名な作曲家達が ここを卒業していきました。

芸大より台東区へと 保存の要請があり 現在の場所へと移築が完了した時に 調律師協会も関わるイベントが行われて  先生方に連れて行って頂いたとき以来です。  その移築工事の際に 解体作業をして見ると  日本建築ではお馴染の 藁や 土などを使って 壁が作られており その上から洋風建築のように 木の板が設置されてあった事は 当時でも話題となっていました。
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そして 昭和に入ってからですが、 公爵 徳川頼貞 より 寄贈された 日本最古の パイプオルガンは イギリスのものです。  丁度 リハーサルを始められる時に入館したので 授業でも 行事でも パイプオルガンの音を聴きなれている 我々ミッションスクール出身・在学者一行は 暫し エアコンも気持ちよく利いている ホールで その響きを楽しませていただきました。

展示室を見ながら シンメトリに作られている階段を上がって ホールを抜けて 反対側の階段を下り  再び 資料室へと立ち寄りました。
玄関を出る際に 目に留まった1枚のチラシを 『 見たことの有る名前が有るよ! 』 と 主人が手渡してくれたのですが、 上野駅の反対側に在る 上野学園大学音楽学部 の 協奏曲演奏会のご案内の一番上に 生まれは東京ですが、 我が家と同じ頃に 山梨へ引っ越しをしてきた フルートを専攻している Meiちゃんの名前でした。  小さな頃には 家族揃って 一緒に海水浴に行ったり  ウラジミール・アシュケナージが、ピアノ弾きながら指揮をする演奏会を聴きに行ったり  餅つきをしたり  随分と仲良く 同じ時を過したものですが、 それぞれに子供達の成長と共に Meiちゃんと Mちゃんのお姉ちゃんは東京へ 息子は北陸へ そして Mちゃんと 娘も 間も無く それぞれの道へと進み始めます。
上野散策は まだまだ続きます〜