秋の気配です。

台風が去ってから 残暑が厳しいかな!?と 思っていましたら 甲府盆地は夏日のような暑さとなりました。   夏休みの特別展 《 ムーミン 》 の原画展が見たくて 《 県立美術館 》 http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/ へと行ったのですが、 日程の勘違いをしていて 既に終ってしまっていました・・・。  既に 予告編の立派な看板に架け替えられてあって 次のの特別展は 《 川端康成コレクションと東山魁夷 》 ですから こちらはちゃんと期日内に見に行きたいと思います。
常設の ミレー のコレクションは 《 種を蒔く人 》 から 多くの名画が揃っています。   数年前に リニューアルされた常設展示場ですが、 ミレーの活きた バルビゾン派の画家達の絵画も コレクションされています。  私は ミレーが描いた 素朴な 《 無限罪の聖母 》 が好きで 時々 見に行きます。  そして 板垣退助 一行が渡航した際に持ち帰った絵画を 山梨の財閥・根津嘉一郎が オークションで落としたコレクションを 東京の根津美術館より寄贈されたユニークな1枚が有るのですが、 その作品の質感が好きで 見に行きます。   2次元のキャンバスの中で今も尚 生き続ける被写体たちは その時代の様々なものを伝えてくれます。  作者の意図を読み解く面白さもありますし 額装からも 色々なものが見えてきます。  子供の頃に 「何でこの絵にこんな額がつくのだろう?」と考える事があって 額を創る人になりたいと思ったことがあります。 
お天気が悪い休日に 立ち寄ってみては如何でしょうか?


同じ敷地内には 県立文学館もあります。  こちらは 大きな講演会も出来るホールが併設されています。   限が無いのですが 太宰治山本周五郎芥川龍之介檀一雄樋口一葉村岡花子など 山梨県から輩出された方々ばかりで無く 数年間の滞在などの 所縁有る文豪達の生きた 山梨に縁有る文豪達の所持品などのコレクションも有るのですが、ユニークな展示内容で 文豪達の生き様に触れることが出来ます。  そのうちに 林真理子さんも 名を連ねる日が来るのでしょう。

本を読む女〈1〉 (大活字文庫)

本を読む女〈1〉 (大活字文庫)

山梨の風景が 描写されている作品です。   新聞の購読数が減少してきているこの頃ですが、活字の面白い所は 想像の余地が有ることです。  ニュースなどは 的確に伝えねばなりませんが、 それでも それを読みながら 推理していることはありませんか?
 

敷地は広くて 池や噴水もあります。  バラ園も充実してきていますが、 いつも花の時期を逃してしまいます。  広い芝生のあちらこちらには 岡本太郎の作品から 近代アートまで 様々な オブジェが点在して居ます。
先日 お客様の御宅で開かれた 哲学と文献学(+ちょっとだけピアノ)のセミナーで 文献学者と 哲学者の違いの様なものを体感しました。   文献学者は 言語的な単語の使い方までをも歴史的な背景を元に紐解いていく事などの作業もされます。   芸術の領域として 言葉で言い表せないものを表す事も作業となりますが、 心理的なものも多く含まれるものが 芸術 なので フロイトの話題に至ったり ニュアンス的なものは人それぞれの感覚的なものが多いので 哲学的に鮮やかに分類して 数学的に解明できない部分を何処まで 解明するべきで しなくてはならないのか!? の話題へと至りました。   電子書籍の普及は 日本の場合には 市場のシステム的な問題が大きいとは言うものの ページを捲る感触やタイミングは 五感で感じる楽しみの一つです。
私たち 調律師も 現代の科学的な技術の進歩で 機械による解析などを取り入れつつありますが、 気候的なものや 地理的なことによる 楽器への影響などをお話していると 「誰の演奏が好きだ!」としきりに 日本人には馴染みの薄い演奏家の名前が並べられていた文献学者・作家の先生に 『 楽器って ピアノって 生き物なんですね!! 』 と 大真面目な顔をされて 言われたので 『 生き物と言いますか、生もの・・・です。 』 と つい言ってしまいました。
『 春夏秋冬だけではなくて 1日の内の音湿度などの変化でも ピアノは音や表情を変えるので「夜中の数時間毎に音を録ってみて」と言って 実験をしてくれた人は その時の音で感じた気分で 録る曲を選んで アルバムを作ったことがあります。  時間帯によっての音湿度などの変化による科学的な音の進行の理論的なものも含まれているので マイクを仕込む時の位置でも レコーディングの仕上がりに影響は出ます。  でも それを確認するのは デジタル処理をした画面上だけでなくて 聴いてみて判断するものでしょう。  人間の感性の問題。  1発のLIVEの時には リハーサルで試して マイクの質を変える事もしますし お客さんが入ってからの変化も予測します。   そしてLIVE中のエンジニアのセンス次第で  演奏者の 歌の歌い方や演奏の仕方にも影響が出ます。 』と 経験的な話にもなりました。
『 調律師が、理論的に立派な仕事をしたとしても 弾く人、そしてそれ以上に 聴く人達が、 安心をして「 心地好い 」 と感じなければ それは 調律師や演奏家のエゴであって 雑音公害になるでしょう!?  都会は 音楽ではない音も多いけれど 聴きたくも無いのに垂れ流しになっている雑音のBGMが多い生活に慣れてしまっているでしょう!? 音楽に対しても 無意識の受動的な姿勢が出来てしまっているので ちょっと聴き方を変えると 1台のピアノの表情が変えている事は直ぐに判るものです。 』 と皆さんに 無意識の内の聴覚についてちょっと気をつけて意識をしてもらいながらの生活の中で 考えて頂くことを提案しました。
哲学者達の作業は あくまでも 人間のやってきたことを 現代の人間が紐解く作業です。  数学的に解明することで スッキリ! となることもありますが、その時代のことの知識を増やす事は勿論の事ですが、 バックグランドに 当時の人々の生活に思いをはせる事も 大事な準備段階では行われていますから 文献学者とは違っていますが、やはり 『 生き物 』を扱っているジャンルだと 美術館と文学館を回りながら 改めて思いました。
暑かった甲府盆地から戻って日が暮れると 急に肌寒い風が吹き始めました。