ユニークな金沢散策 1   

13日からの 京都での仕事の帰り道は 同じ道を通るのも味気無いので ちょっと遠回りをして 息子の住む石川県へと立ち寄りました。   京都の初日からずっと暑くて  空に浮ぶ雲は 既に秋の気配を漂わせていましたが、Tシャツに キャップを被って 汗を拭きながらの金沢散策です〜(16日)

春に 石川県に住み始めて数日の息子が、 未だ大学も始まっていなかった頃に 原付で行けそうな範囲を散策して 『海』と 砂浜の写メールを送ってきたことがありました。    その後、大学から 県内の公共施設の利用券を配布されていた事もあって 21世紀美術館の常設展や 兼六園などヘは 殆どが、無料での入場が出来るそうです。   入学式早々から忙しくなったものの 休日には その利用券を持って  山梨のような高低差が少ない分だけ 随分と楽しそうに走り回って居たようです。   しかしながら『ガソリン代が馬鹿に成らないから チャリンコ買っても良いかな?』と言ってくるようになりました。
その様な散策の時に 行ってみて面白かった場所を幾つか教えてくれました。 

息子の一押しは 『 海も見れて 不思議な場所に在るし 展示も絶対に母が好きそうなものだよ! 』と言う事で 山梨県とも関わりのある 《 石川県金沢港大野からくり博物館 》 に行きました。  昨年は ここから数対のからくり人形をお借りしたり 息子の大学の教授を中心とした企画展が行われた際に 『山梨でも!』と この夏には身延の なかとみ工芸美術館 でも 展示や講演会が行われました。 
町から外れると ちょっとした田園風景の中を走り 間も無く 「ここを入るの?」と思う様な角を曲がると 直ぐに視界が広がって 金沢港です。   海沿いの道を走っていくと 到着です。   建物から 《からくり》を意識しての ユニークなデザインです。   空の青と 海の青と 草木の蒼が、 建物を引き立てて居ました。

展示物は 写真撮影が出来ませんでしたが、 その分だけじっくりと見て楽しめました。  始めは 貸切状態だったのですが、間も無くご高齢のご夫妻と息子さんがいらっしゃったので 館の方が 『大野弁吉の説明をしてあげるから〜』と 声を掛けて下さいました。   江戸時代に栄えた からくり人形の展示 と共に 大野弁吉 と言う 各方面に非常に優れた人とその弟子達のお話を伺う事が出来ました。   『母、母の好きそうなステンドグラスの有る不思議な神社が在るから そこにも行きなね!』と言われていたものの その息子も見落としていたのですが、金沢城の隣りに在る 《 尾山神社 》 の ギヤマン式の神門の設計は 大野弁吉の弟子も関わりの有るもので 図面が展示されてありました。
その他にも 蘭学天文学などにも長けていたそうで 更に手先の器用さも合わさり 「この様にまで細かな細工が出来たとは!?」と思う様な見事な作品が残されていますし 残された図面などを元に復元された数々の 歯車やゼンマイ仕掛けの凝った品々が、目を楽しませてくれました。
写真に取れなかったので 展示を収蔵したパンフレットを買いました。  小さな作品が、写真によって拡大されているものもあり 肉眼では確認できない箇所まで見ることが出来て とても楽しいものです。   色々と お話をして下さった官の方から 金沢のガイドブックを頂きました。


先程、図面を見てきたばかりの 《 尾山神社 》 です。    主祭神は 加賀藩藩祖の 前田利家正室の おまつ です。   香林坊の方からも このステンドグラスは見えるので 以前は素通りしてしまっていましたが、 改めて行ってみると 神社としてだけでなく 楽しみの多い場所でした。  

鳥居をくぐって ギヤマン式の神門の抜けると 立派な境内です。  ちょっとスリムな狛犬もあります。

NHK大河ドラマ《 利家 と まつ 》 の放送を記念して建てられた 年家の像です。  利家は 戦国の時代には珍しい 180cm程の長身だったそうです。  更には 長い槍を振り回して闘う豪腕だったとも言われています。   この時代は 主に弓矢が 使われていましたので 流れ矢に当たらないように 鎧に布を羽織ったそうですが、風にあおられて風船のように膨らむ「ほろ」と成りました。  後に 味方への目印ともなり 後の時代の戦国武将たちが装備したようです。  山梨での始めてのNHK大河ドラマ武田信玄 》 の撮影の際にも使われていて  特にオープニングの騎馬隊のシーンでは 多くの方々が眼にされて 驚かれた事を伺った記憶があります。

庭園があって 様々な意味合いの有る要素が、含まれていました。

豊に流れる水の音は 涼しさを感じさせてくれました。   色濃く生した苔も 長い時の流れを伝えてくれます。

浮島は 琵琶湖の形を模されてありますし そこから伸びる板の橋は 八つ橋をイメージさせたものでした。   このアーチ型の橋は江戸時代の大名達が江戸屋敷内の庭園に好んで作ったものと同じ意味合いのものなのだと思います。 江戸に入ってから 儒学が盛んに重んじられるようになり その知識をアピールする1つとして 日本には無い当時の中国で作られていた庭園様式にあったアーチ型の橋を取り入れたのだそうです。

神苑には 陸軍の戦没者を称える碑が有ると聞いていたので 探してみました。

ステッセルのピアノ (文春文庫)

ステッセルのピアノ (文春文庫)

旅順での 乃木将軍とロシアのステッセル将軍による会見が行われたことは 有名な話ですが、 その時の金沢出身者の陸軍の部隊には 多くの戦死者を出してしまった事もあって その際に乃木将軍が ステッセル夫人の愛用のフランス製のアップラオとピアノを頂いたものを 金沢へと贈ったのものが、今でもオーバーホールをされて 大切に使われています。

裏手に有る門は 唯一 火災のときにも残ったものだそうですが、 この2匹の竜が 口から水を吐き出して 守ったそうです。   作者は不明だそうですが、 釘を使っていない 日本建築の傑作とも言える逸品とされています。  暫くの間、眺めていましたが 非常に面白くて 名残惜しいのですが、背を向けました。

さて この後には いよいよ金沢城ヘと上ります。