鼻歌交じりで新酒を〜♪

木々の葉が、紅葉と同時に散り始め 家の周りを褐色に染めています。
今年は『雪が早そう』と言われるので 先日 愛車のアベンシススタッドレスタイヤを早々に買いました。  イギリス生まれのフランス語名のトヨタ車は タイヤのサイズもユニークなので 値段の下見に行っただけの積りでしたが、ワンシーズン遅れの1セットが残っていて アルミホイールも好いものを着けてくれての値引き価格でした。   そうなると今履いている夏タイヤの鉄のホイールとキャップの姿が気になってしまって 冬タイヤへと履き替えた際に 既に来年の春を考えて 夏タイヤのホイールを交換しようと 準備中です。 

文化の日です。  少し前に 『ピアノが生き物と感じられるような〜』 と言う原稿を依頼されて ピアノを前にしてのお話ならば比較的に容易なことなのですが、ピアノを見たことも無い方々も読まれる事を考えると 難しくならないようにピアノや調律の説明も交えながら ピアノの姿を表現する作業となったので 自分なりに工夫をしつつ お待たせをしましたが、書き終えました。   その様な事もあったので 同時に複数の文章を考えていましたので 最近のブログは 無理矢理の音へこじ付けしている放浪記となっていました。   ブログを書きながらも 原稿ネタや言葉を捜していたので チャッカリとはしています。  無事に送信確認が取れて 一安心です。
そんな日に 待ちに待った今年の新酒ワインが届きました〜   昔に比べて お酒に弱くなってきてはいますが、未だに 嗅覚は衰えずに 美味しいお酒は大好きです。
先日 この丸藤葡萄酒工業㈱ワイナリー・ルバイヤートのお話を書いたばかりですが、 そのワイナリーに行った日は 自ら運転しつつ 序でに立ち寄ったので 瓶詰め前の新酒の香りを深呼吸で堪能出来ましたが、 ショップでの試飲が出来なかったので 非常に悔しい思いをしました。   ですから その数日前に高輪へ行った時の事を赤穂浪士のお話と共に書きましたが、その帰りのJRのホームまで 仕事帰りに来てくれて 15年振りに会った友人へ別のものですが1本と 自宅用に新酒2本を送ってもらう手配を ちゃんとしておりました。

高輪に行った際に 神楽坂のアンテナショップのフレンチレストラン【 ルバイヤート 】 へ行きたかったのですが、時間の関係で行けなかった事と 6日に調律師協会の研究会が、千駄ヶ谷であることを丸藤さんの方にお話をすると 『千駄ヶ谷の駅の近くにも 家のワインを置いて下さっていて 飲めるお店がありますよ!』と ステーキレストラン【 CHACOあめみや 】 を教えて下さいました。

研究会開始時間に間に合うためには 車で行く方が 気分的には楽なのですが、 その様な好いことを伺ってしまうと 「始発の鈍行JRを乗り継いで行って 帰路は酔払いながら 最終の特急に乗るのも好いな〜♪」と 1人で浮かれています。  研究会は 清水和音さんのリサイタルも含まれて居ますので 「素敵な音を聴いて 更に美味しいワインと美味いものを食べて ちょと贅沢な日にするのも 悪くは無いかな!?」と 珍しく車で行く事を止めようとしているのです。
今回の新酒は 《 甲州 》と言う 江戸時代から栽培されている品種の 辛口と甘口を送ってもらいました。

甲州 》 と言う葡萄は この様な季節限定の【 月の雫 】と言うお菓子にもなります。  はじめて食べたのは 今から30年ほど前のことですが、 その食感と 味は とても印象的でした。  生の甲州ぶどうに 砂糖をコーティングしたもので ウィスキーボンボンをイメージ出来るお菓子です。   その製法は 数年前に知ったのですが、 小さなお店の作業場で 釜に溶かした砂糖の中へ 一粒ずつ葡萄を手作業で漬けて コーティングさせるのです。   お土産屋さんには 沢山の箱が積まれているので まさかの手作業でした。

県立博物館の企画展《 柳沢吉保甲府城 》を見に行きましたが、吉保の子の吉里の時代に 偶々、煮詰めた砂糖の中へ生の葡萄が落ちて仕舞い 急いですくい上げたところ 見事にコーティングされていて 色も形も味も良かった事から 城主・吉里へと謙譲されたお菓子だそうです。

柳沢吉保とは 五代将軍の側近でした。   三代将軍の家光の子である四代将軍と五代将軍には嫡男が無かった事から 母親である側室の格が低かった事から甲府城主を勤めていた四代・五代将軍の弟の嫡男(家光の孫)が、親しかった御三家の三戸の光国の後押もあって 六代将軍となるために江戸へと上がり その後を柳沢吉保が守ったそうです。
元々のルーツを辿ると 武田家に通じていることもあって 家紋も 武田菱 に似た 花菱紋 で 非常に土地にも貢献した人物でした。
名前を余り聞くことは無いのですが、 東京の六義園は 柳沢吉保下屋敷だった所で 当時の新しい技法なども多く取り入れられて 非常に精巧に作られていた事から 当時から名高い庭園だったと聞いたことがあります。  本郷・小石川・駒込辺りの庭園を散策してから 神楽坂で美味しい食事を頂くのも好いな^♪と思うのです。
余談なのですが、江戸時代の鎖国のお勉強には付き物の ザビエルが日本にやってきた時には ピアノの元祖のハープシコードを持ち込んでいたそうです。  幕府の役人達が興味津々で その仕組みを調べたそうですが、江戸の職人達がその楽器を見ていれば、きっとからくり人形を作るかのように 直ぐに作ってしまっていたのでは!?と思います。 

甲府舞鶴城下町の地図ですが、城そのものの多くは 現存しませんが、葵紋や 花菱紋を模った瓦などが、多く出土しているようです。  甲府は岩盤が固いとも聞いてはいましたが、どうも娘の学校の裏山辺りから 石垣の石が切り出されていたような事も聞いた事がありますが、この地図を見ると 現在の甲府の原型があって 道を辿っていくのが楽しいものです。
徳川家康が将軍となった時から 江戸城を手直ししたり 日本橋を基点としたり 様々な事を行ったものが現代でも受け継がれていますが、 江戸の古地図を読んでいくと面白いことが分かるそうです。  確かに 大阪との間に在る駿府城で隠居生活を送ったりしつつ 諸大名へ睨みを機ませながらも 甲州街道舞鶴上への脱出経路として 他の街道とは少々違った整備をしていたようです。  武田信玄に負けたことはあっても 後には天下を取った家康自身も 甲府の城には滞在していた事もありますから 江戸と甲府の年表を読み解くのも面白いものです。   家康といえば、これも以前ブログに書きましたが、ピアノの産地の浜松へ行くと 『家の家康さんは 御宅の武田さんに負けた時の姿を絵に残して 戒めとしたそうだよ。』と 近所の人の噂話のような立ち話になることもあります。   そんな浜松が栄えた理由は 東海道やその地形に由来していますし そのお陰で 山葉寅楠は偉業を遂げたのでもありますから 面白いものです。



嬉しいものが届いた序でのお話です。
社会人となって 会社の看板名が書かれた自分の名刺を持つようになった時から使っていた名刺入れが、 未だ使えなくは無いのですが、さすがに草臥れた姿に見えるようになってしまったので ゆっくりと休んでもらう事を考えていました。  交代要員を探すとなると なかなか好いものが見つからなかったのですが、久し振りに 私が好きな猫のダヤンのショップを検索してみると 新作が出ていました。   ウサギのマーシーから 猫のダヤンへと バトンタッチしました。