小学校の教科書・知らないことに興味を持つ楽しさ〜♪

節電などの影響もありますが、強烈な寒波の影響で 特に山梨北西部では 《八ヶ岳颪(おろし)》までもが吹き荒れて 室温が上がりません。  気密性の高い受託でも 断熱材を多く使われていても 家と言う器そのものが、外気温で冷やされているので 室温が上がりません。  寒い冬でも 雪が降れば、雪が解けて室温が保たれたり 氷点下の厳しい冷気から適度に温度を保つマルチングの役割も果たすものの 今年は少々違った様子です。

ピアノを沢山弾けば、それだけ弦振動が繰り返されて 丈夫なミュージックワイヤーも劣化して 断線に至ります。  しかしながら今年は更に 寒さが加わっているので 低い室温の為に金属の硬度が増してしまい 様々な個所の断線が多いです。
4月に発表会を控えた小学5年生の女の子は メンデルスゾーンの無言歌 を練習していますが、 中音のスチール弦3本から スチール弦に銅線を巻き付けて比重を上げている2本線となった 丁度 テンション(張力)の変化する箇所が、切れてしまい 問屋さんに注文をして 同じ太さで同じ長さの《巻線》を張り替えに伺いました。

スチールの弦ならば、一通りの太さの弦を車に常に積んであります。  比較的に切れやすい箇所の細目の弦ならば、適当な長さをクルット丸めたものを調律工具の鞄に中に入れてあります。
巻線を調弦する日は 丁度 学校がお休みの日だったので 女の子と お兄ちゃんが『あまり見られない作業だから 見たい!』と 興味津々で 見学をしてくれました。
弦を張るための準備や 工具を出しながら 学校での好きな教科の話題に至り 『そう言えば、社会科の教科書に ピアノの作る工程があった!!』と 教科書を見せてくれました。  2歳違いのお兄ちゃんの教科書には『確か載っていなかった筈… 記憶にないもん。』とのこと。  教科書の内容も昔とは随分と変わりましたし この数年は 脱ゆとり教育 とか言って 昔の内容に戻しつつあります。
昔の都会の小学校は 1クラス50人位は当たり前で 更に新興住宅地などでは クラスが多すぎて 木造の古い校舎を再利用したり 校庭にプレハブの仮設教室を建てたりしながら 近所に新しい小学校を建てていましたから お母さんとそんな話をしながら『昔の歴史のテストは 年号を暗記するだけで 漢字や英単語の書き取りのテストに近かった!』と 今と昔の子ども達の生活の違いの話題で楽しみました。 

《日本のもの作り》と称された国内の工業の様子を学ぶ一環に 《ピアノ作り》も掲載されていました。  丁度 次のページには自動車の工場について出ていたのですが、特にメーカーは無かったので 『ピアノは浜松が拠点となって 各地で作られていたことや 山葉寅楠が山羽寅楠で 元々は二刀流の暴れん坊だった話や 浜松には 山梨の武田信玄を恐れていた頃の徳川家康が居た事や ピアノ以外にも自動車のスズキの創業の地であることや 地理的な条件が色々な場面で 条件的に整っていたことなどの理由などの話をしました。
歴史の中の人物が、日本各地の直ぐそこで 色々な活き方をして居た事を遠くて近い事と思いながら 学校の勉強を角度を変えてみると 難しい事ではなさそうだ!?と感じるひと時でした。


数日前ですが、昨年秋に フリーズを繰り返すXPで書いた原稿が、冊子となって 届きました。  キリスト教哲学の勉強会を主催されていらっしゃる教授からのご依頼で 夏に開かれたセミナーで 私がお話をした「ピアノと言う楽器が生き物であること」を出席できなかった人たちにも 触れて貰いたいとのことから 文章に起こしました。  日頃から 論文を書かれていらっしゃったり 学会などで論評をされていたり 学生たちが書いた論文の添削をなさっていらっしゃる方々の文章と共に 掲載されるとのことでしたが、 タイトルからして『私はピアノ調律師です。』と言い切ってしまっての 原稿書きとしました。
店頭に並ぶ書籍もそうですが、読みながら思考していることは 文章中のテーマのことのみならず、書き手の人柄の様なものも 感じ取ることや想像が出来るものが、文章だと思います。   そして書き手が意図とすることや 書き手の人間性を感じ取る読み手のスケールの違いで 書き手からメッセージとして得られるものは、全く違ったものとなっているのでしょう。  文章の場合には 読み返すことが出来ます。 読み手が読んだ時の心理的な状態や 知識や知恵といったような環境の変化によって 読み返した時に新たな発見が出来る楽しみがありますが、音楽の場合には 基本的には消え行くものです。  レコードやCDと言った保存が出来るものもありますが、それらを使って再生する際の環境は 演奏して録音をした時の環境とは 全く違ったものとなっています。   以前に ハンドメイドのスピーカー製作者とその話題になったことがあります。
そんな話題の延長には『プロとしてではなく「愛好者」として嗜んでいたり、関わる方ががよく使われる言葉に 《感性》がありますね。』となることがあります。  『私の感性には 合わない』とか、『あなたの感性はどの様になっているの?』とか、大方の場合には上から目線的に使われます。  東京の某大型多目的施設内で仕事をされていらっしゃる方と お仕事を一緒にさせて頂いた時に その様な話題となりました。  『アーティストとして これから自分を表現するという時に 文句を言いながら「感性が!」と言う人も 万が一の評価を出された時の言い訳を先にスタッフなどへの責任転換を用意しているから 「セミアマ」だね…』と感じている裏方のスタッフ達には 『セミアマ』と言う名称が ピン! とくるようです。 
『「感性」って言うと とても教養高く感じさせられるインパクトがあるけれど 受ける側からすれば「好み」って言って欲しいと思う程度の内容があるね。』 『「感想」と言いながら自分から目線でクレーム着けていて そんな人のことを「セミアマ」って呼ぶんだよ。』『「セミプロ」は苦労を知っているから 言葉のかけ方も違うけど そうじゃない人は「セミアマ」で アマチュアとしての自覚がある、向上心ある人とは違うんだよ。』『ナースのj友人がね、「看護婦のくせに!」ってDr.に言われた!って 泣きながら怒って電話してきた時に似ているかも。「ナース無しで Ope.出来るもんなら、やってみろ!って言って来い!!」って言ったら 本当に言われたDr.はそのうちに 勤務先が変わっていたんだって。』と その時その時の消えゆく時間な流れの中で ベストを尽くしている人たちは 似たような感じ方をしてるものでした。

3日でわかるクラシック音楽 (知性のBasicシリーズ)

3日でわかるクラシック音楽 (知性のBasicシリーズ)

音楽も 世界史や地理や宗教的思想の価値観についてなどを一緒に学べば、同じ曲を聴いても 聴き方や 聴こえ方が違ってくることでしょう。  日本は島国ですし 国公立での宗教の時間が持たれないので 平気で『無神論者!』と言い放つ人が少なくない国民性だと感じます。  『無神論者と唱える前に 何を持ってその様に言うのか?』と伺ったことがありますが、仏教のブッダがインド人(中国人と思われていました)であったり イエス・キリストユダヤ教徒だったことも知らない方でした。   ちょっと知識のある方は『無宗教』と言う言葉を使われています。
ピアノと言う楽器の発達の仕方などを知ろうとする時に 歴史などの知識は自然と興味を持つものです。  「ジャンルや カテゴリー分けを敢えてしないほうが良い事も少なくないな〜」と 教科書を見せて貰いながら 感じました。
因みに ピアノが日本の産業の代表の様に書かれているけれど ピアノそのものはヨーロッパやアメリカのコピー商品だったことや その製造工程が、日本の職人技を生かせたことや 山葉寅楠は「ドレミファソラシド」を知らないままに リードオルガンを作ったことなども 歴史の動きの影響が大きく関わっていることを お子さんたちとは 話題となりました。 この数年中に導入された《邦楽の授業》で お琴を体験していた中学生のお兄ちゃんは 『楽譜のようなものが、漢字の数字だったから ドレミファソラシド じゃ無かったってことなんだよね!』と 1つの事柄から 複数の事柄を導き出していました。 
『遠く浜松の天竜川の 流れ出しているスタート地点はどこでしょう?』と訊ねてみると さすがに静岡県の地理は授業では詳しく習っていなかったので 川の名前も聞いた事があるという程度でしたが、『諏訪湖って行ったことあるでしょう? あそこから浜松まで流れているんだよ。』と話すと 『山梨の富士川を利用したように 山と海の土地をつなげていた大事な交通ルートだったんだ!』とお兄ちゃんの歓喜でした。 
甲州名物 煮貝のかいや あわび煮貝 1粒90g

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そんな昔の人たちの日常の仕事のお蔭で 山梨の名物の「煮貝」もできたのでした。