杉並区 荻窪 【 大田黒公園 】

mukku38682010-12-16

今日は 今にも雪が降り出しそうな冷え込みの厳しい 山梨です。  そう思うと 昨日は 寒冷地仕様の 身体に 変ってきているのか!?       上着も要らない程に 暖かく感じる 都内の お客さま宅へ 【 PRUTHUNER 】 を拝見する為に伺った 帰り道にちょっと遠回りをして立寄った 【 大田黒公園 】です。http://www2.city.suginami.tokyo.jp/map/detail.asp?home=K00740


此処から直ぐの所に在る 都立荻窪高校か、杉並高校を受験しようかと 荻窪駅前は よく歩いた場所です。   兄が 駅前の西友の鮮魚売り場で バイトをしていた 懐かしい場所でもあります。  懐かしい道の 両側は 大きなビルが立ち並んでいました。 所々に 見覚えのある古い看板と 店構えが残っています。  そこを抜けて 住宅地に入ると お屋敷だった家々は 新興住宅地と変ってはいましたが、大きなケヤキなどの木々は 点在して残っていました。
その様な住宅地の中程に シンプルながら立派な門構えが、在り 奥へと敷地内へと通路が伸びています。  ポプラ並木を思わせる 東京都の木でもある 《 イチョウ 》 の並木が 沿って植えられており 孟宗竹や山茶花など 四季折々に表情を変えるであろう様々な植木が、点在しています。  

敷地内には 丁度、見頃のカエデなどが、目を引きました。   広い芝生のスペースをぐるりと巡れる回廊は 施工を凝らして作られた 沢や 飛び石や 池に 吾妻屋が、設けられています。 その片隅に 可愛らしいシックな色調の 洋館が、建っています。

和洋折衷の 小さな洋館は 日本の初の音楽評論家とも言われる 《 大田黒元雄 》の自邸だったものです。  大田黒元雄は 明治26年に 東芝の前身である 芝浦製作所を再建した 大田黒重五郎の 一人息子として生まれ 裕福な家庭で育ちました。   大正4年に 《 松本合資会社 改メ 合資会社 山野楽器店 》 ( 現在の 山野楽器。  『 改メ』についてのエピソードや時代背景などは 後日〜 ) の 店主・山野政太郎氏より『 音楽評論のようなものを書かないか?』と 進められた事から 音楽評論を 執筆し始め 《 バッハより シェーンベルヒ 》を 刊行したそうです。
若い頃に 渡欧して 経済学を修める傍ら 東京音楽学校(現在の東京芸大)教師に ピアノを師事した経験を生かして 欧州の楽譜や資料や情報を いち早く日本に持ち込めたそうです。ガブリエル・フォーレの演奏を聴いたそうです。 同じ頃に 島崎藤村は クロード・ドビュシーの演奏を聴いているそうです。

様々な音楽に関わる資料をまとめた刊行物を発行したり 音楽雑誌刊行の会社設立などもされ  月に1回は 自邸で 音楽の集いを開き 自らピアノ演奏をして 当時の最先端だった スクリャービンや ドビュシー等の 近代音楽の紹介に貢献したそうです。  プロコフィエフが、来日した際には 手厚く持成したそうです。

暖炉がある 重厚な欧調家具の並ぶ 洋風の部屋には 寄せ木細工の外装が 美しい《 スタインウェイの 8本脚 グランドピアノ 》が、今でも 置かれています。  

渓谷を思わせる 造園と 芝生の広いスペースに とても背の高い松などが、配置されており とても素敵な庭園は、その敷地に 脚を踏み入れた人のみが、 体感できる 癒やしの 不思議な 空間です!    是非、季節を問わずに お時間が、 ある時に ふらりと 立寄ってみて下さい。

音楽生活二十年―伝記・大田黒元雄 (伝記叢書 (201))

音楽生活二十年―伝記・大田黒元雄 (伝記叢書 (201))