冬眠から目覚めた途端に〜♪

やっとスマートフォンが修理から戻ってきました。 「車に踏まれても壊れない!」と言う強度の物ですが、どうやら抑々の中身に問題があったそうです…(~_~;)  10年以上乗っていたマニュアルのRAV-4は、エンジンルーム内の問題があって (高地)寒冷地仕様ながら ヒーターが効かず、エンジンを下しての大手術を受けた事もありますし 現在の愛車のアベンシスも 乗り始めて4日目に こちらが完全に停車しての擦れ違いで コツン…とバンパーを当てられての修理経験がありますが、結局は長い付き合いとなっていますので ある意味で「アタリかな〜?」と思って居ます。

今年は、昨年とは逆に 1か月早く 季節が移り替わりつつあります。 しかしながら未だに雪も舞う事がある程の冷たい風も吹くので 花が咲き切らないうちに 次に咲き出す花が咲くので 我が家の庭だけでも 不思議な風景となっています。
久し振りに 長野県高遠城史公園の桜を観に行きました。 戦国時代からの城跡で その敷地内に 所狭しと コヒガンサクラが植えられています。 我が家の庭にも 10年前に花見に来た際に勝った苗を植えましたが、まだまだ小ぶりな木ですが、沢山の花を咲かせるようになりました。
この《進徳館》からは、明治時代に活躍する多くの人材を輩出しています。

東京藝大の前身の音楽取調所初代学長の伊澤修二は、城跡の直ぐ近くのこの家で生まれ育て 甲州街道を歩いて江戸へと上り アメリカへの留学を果たしました。 ピアノを弾かない方でもご存知の《バイエル》が、日本にやって来た切っ掛けを作ったと言っても過言ではない人でもあります。
スマホが、修理に出されている間に 随分と色々な事があったので その一部をご紹介します。

いつもコンサートなどでお伺いをしている清里のホール・オブ・ホールズで 自動演奏の解体メンテナンスのお手伝いをさせて頂きました。 パイプオルガン工房の辻オルガンで修業をされていた脇田さんが、パイプ箇所その他を担当されて ピアノの箇所は、私の調律の師匠方の兄弟弟子である滝川先生が担当されるのですが、その作業を「お手伝い」と称して 主には見学させて頂く事での勉強が出来た数日間でした。 実技的な事だけで無く 技術者として 色々なお話を伺う事も出来ました。 古いものを受け継いで 守っていく事の意味も 改めて考えることが出来ました。 豊かと言われる現代では、楽器も使い捨てのような感覚で 考えられてしまって居る場面も少なくないですが、ピアノはデリケートな楽器です。 楽器の中では、珍しく 専門に音を整える調律師を必要としますし 誰でもキーを叩けば音が出る!と言われますが、確かに 簡単に音を出すことが出来る便利な面もありますが、「弾くことで 音が、奏でられる」ものです。 《奏でる》と言う言葉の使い方に関しては、諸説ありますが、パイプオルガンは神へ捧げる曲を演奏する物として 「弾く」と言うよりも「奏でる」と言われます。


これまでは、新年明けての第一週目の終末に催されていたヴァイオリンのコンサートですが、今年は 諸事情により 3月末となりました。 年末年始に 誰も居なくなって仕舞って 冷え切って仕舞うホールと ベーゼンドルファーなので 調律に入る前の日から 舞台に上げて置いて貰う様にお願いをして 何とかバランスを整えられる様にしていましたが、人間の身体も同様で 芯から冷え切って仕舞うと 建物も 楽器も 温まるのには時間を要する物です。
今回は、これまでに無く 素直にいう事をきいてくれましたし 調律の時間も多めにとって頂けたお蔭で
いつもは裏ワザで 何とか弾けるようにしていた箇所も きちんと整えることが出来たので ピアニストを軽い腱鞘炎に至らしめる事にもならず、コントロールもし易い状態に出来ました。 
ホールのピアノは、様々な調律師が関わりますので じっくりと育てると言う様な作業とも違いますが、ピアノの癖と言いますか、色々な調律師の癖や好みの様なものを読み取ることが出来るので 多くの事が学べます。 しかしながら 限られた短い使用時間内に作業を終わらせ無くてはなりませんから タッチを変えるための最短距離を読み解く必要もあって その作業の時間を作り出す為には、自分自身の仕事の手順や時間配分に掛ってきます。 毎年 同じ時期に関わらせて頂けるコンサートの仕事は、「今回はどんな顔をして待っているかな?」と ピアノと会う時が楽しみでもありますが、「どの様にしたらば好くなるかな?」と シュミレーションをすることも 良い経験となって蓄積されていくように感じています。 そんな学びのチャンスの有難いお仕事を頂いています。


清里清泉寮で 昨年秋に 友人の披露宴での調律を切欠に出会ったピアノが、実に不思議な沢山のご縁を持っていました。 「(長野県の)駒ケ根から来たピアノ」と聞いていたのですが、飯田市の備品ステッカーが貼られてあって ピアノの周りを一周してみると《追手町小学校PTA一同 昭和35年》と金文字で書かれていました。 私の中では、飯田市と言えば、ミュージシャンのタテタカコさんを思い浮かべるので 直ぐに写メを送信すると 「父の母校です」とお返事が、早々に返ってきました。 スタッフの皆さんに伝えると 「何でタテさんからメールが来るの〜??」と そこから驚かれましたが、ファンが多かったこともあって 「ご縁を感じるね〜!」と ライブを企画して貰う運びとなりました。
当日は、画家の足田メロウさんが、朝からレンジャーと共に子供たちと森へ散策に出かけて 画材を探しての作品を作るワークショップからスタートをして 美味しい特別メニューのランチも用意されました。 数々の賞を受賞してきている地元の北杜高校のギター部の皆さんの演奏も有って そしてタテさんと足田さんのコラボと進み  とても濃厚なイベントの1日となりました。
清泉寮へ ピアノがやって来る切っ掛けは、友人のMeganだった事も判って 私としては、とても嬉しいことが沢山詰まったピアノです。 清泉寮へ来てから数年が経っていて 色々と使われてはいましたが、古くて大きなピアノの実力を タテさんの歌と 足田メロウさんの絵画コラボレーションによって コンサートの足を運んで下さったお客様に喜んで頂けたことは勿論ですが、清泉寮のスタッフの心に届いた事は、嬉しかったです。
おまけの出来事もあって リハーサルをしていると 特にシャットアウトをしていた訳でも無いのですが、若い外国の女性が来られました。 彼女は日本語が全く分からないイラストレーターで 甲府での個展を開くために日本へやって来たそうですが、足田さんのパフォーマンスと作品を見に来ていたようでした。 しかしセッティングをしながらリハーサルをするタテさんの音作りにも 心を奪われたらしくて ライブを楽しんでくれましたし CDをニュージーランドへと持ち返ってくれました。
ピアノが、多くの縁を与えてくれます。 ピアノのお蔭で出逢えて ご縁を重ねて下さる方々に 感謝しています。

4月4日は、ピアノ調律の日♪

今日 4月4日は、《ピアノ調律の日》です〜♪ 世間一般的には、OKAMAの日など 色々な言われ方をされていますが、ピアノはじめ学校教材の基音《A》の音が、440hzという事と 国際技術者会議に日本が出席をしたミレニアムの月〜そんな事などが、掛け合わされています。  因みに NHK時報の音も《A》の音です。

新生活をスタートされたかが多々も多い事と思います。 我が家でも 娘が大学生となりました。 2年前に息子が家を出る時には、未だそれ程にも普及していなかったスマートフォンを使ってのパソコンのインターネットの利用など どんどん手軽に便利なシステムが普及していて 家を出るにあたって テザリングが出来る様に スマホに変えました。 息子も 早くも就活を見越してスマホに替え買えて 仕事で携帯電話を使用している私も買い替えました。 が、… 購入して2か月と経たないうちに 「車に踏まれても壊れません!」と言われたモデルが、お熱を出すようになって仕舞って 入院して2週間ほどになります。 その間、代替器のスマホを利用しているので 使い慣れていない等の理由から アップしたい写真が沢山あるものの 今回は、文章だけとさせて頂きます。
2〜3週間ほど前から 急激に暖かくなってきた事もありますが、観光地でもある八ヶ岳南麓では、皆さんにお伝えしたいイベントなどの話題が、既にテンコ盛りとなっていますが、今しばらくお待ち下さいませ。

折角なので 最近、偶々なのですが、様々な職業の方々と 言い方こそは違うものの 同じような話題に至ることが多いので その内容を簡単にご紹介します。
フェイスブックで親しくして頂いている北陸在住の彫刻家の方が、ある著名人の名言をアップされた事が切っ掛けです。 芸術家を取材に来られている記者の多くが口にする言葉に「芸術の事は、よく分からなくて…」と言う言葉に対してのものなのですが、「芸術を理解しようとすることが平面的な考え方〜」と言う様なもので その内容に対して 以前に息子が大学に入って感じた事を言葉にした内容が似ていて 良し悪しを言っている訳では無くて 「パソコン内でのCGなどの画像処理は、あくまでも二次元の世界であって 組み立て作業的な物事は 三次元の事なので 体育会系の工学部としては、ちょっと畑違いの自分は 3Dで プログラムなどを得意とする人たちの思考は会話などから 2Dに感じる」と言う様な事を発言したところ 似た事を感じられていらっしゃる方や 「ナルホド」と感じられた方々がありました。
同業者の間でも 理論的な話題を好む人と 工具などを含む技術的な話題を好む人とでは、「平面的、立体的」そんな言葉を聞くことが多いこの頃です。 更には、あるクラシックコンサートの仕事の時に「山梨の某所に好い整体師の先生が居るよ!!」と言う情報をマネージメントをして下さる方から伺ったので 早速、予約を入れて 治療をして頂いた際に 筋肉や骨や 身体の構造のイメージをし易く会話をして下さったので とても治療に対しての効果を頭でも 身体でも感じつつ 受けることが出来たのですが、その際に「物事の思考の仕方には、平面的な方々もあって 説明の際に〜」と 似たような話題になりました。
先程 新生活を始めた娘の所から帰って来たのですが、ベランダに有った何年も経っているミニシクラメンの花の手入れを お喋りをしながらしてきたのですが、義母が『あんまり 細かい事を言ったりしすぎてはダメよ!』と 娘に対しての私の態度!?を言い出したので 何のことだろうか?と思ったらば、ほったらかしで 何年も咲き続けているミニシクラメンの花柄を取ったり 葉組みをしている様子を見て『細かい』と感じたようです。 私からすれば、義母は 植物音痴と思えるような出来事がこれまでにも有って 『止めて欲しい」と頼んだクンシランへの水やりのお蔭で 根腐れを起こして殺されてしまった経験もあるのですが、義母は忘れていて(その自覚がないようです。) 『何もしなくても咲くのに!』と思った様です。 既に この暑さで 腐り始めていたので 植物音痴の娘に管理方法を教えていたらば、娘の生活に対しての事と 重ね合わせたようです〜(笑) 娘は内弁慶なので 出来るだけ 尋ねてくるまで放って置く鬼母なのは、本人が一番よく分かって居る事なので お祖母ちゃんに『植物だって生きてるよ。可哀想だよ。勿体無いよ。』と言っていました。 そんなチャンスがあったので 日頃は殆ど話をしない私の仕事の内容も話題にしたらば、『知らなかった…』と。 良い日となりました〜♪
『分らないジャンル』と先入観を無意識のうちに持たれている方々は、二次元的であったりするようにも感じます。『分らないから知りたい!』と思う方は、三次元的なのでしょう。  どちらが良いとか悪いとか〜では無くて 自分とは違った進入角度や 思考の方向性を持った人が居る事を知るだけでも 会話がスムーズに進む様になって お話も弾むのではないかな?と思いました。
新年度を迎えて 改めて初心に帰って 精進したいと感じる時間でした。

3月です。新たなスタートの地点に立ち始めつつあります♪

3月に入り 啓蟄を迎えた途端に 暖かくなりました。 つい数日前までは、「0℃だね、暖かいね!」と言う様な雪が降り続くような日々でしたが、急激に暖かくなってしまったお蔭で 「暑いね… 10℃超えているよ!」と会話するこの頃です。

私事ながら 誕生日を迎えました。 テニスに一緒に通っている友人が、手描きのワイングラスと 美味しい白ワインを届けてくれました!!  昨年、FMのリスナープレゼントで adidasが、20年ぶりに発売した硬式テニスラケットが、既に型落ちではありましたが、とても好いものが当たって 「月に1回でも好いから 好きな事をして身体を動かそう!」と スクールに通い始めた事を話したらば、「私も行ってみたい!!」と 一緒に通う様になりました。 お互いに仕事で身体は動かしている(私の場合は筋トレに近いかも!?)ものの 日頃は車を使っての移動が多くて 完璧に運動不足だったので 一緒に行ける日は、車を1台にいして お喋りをしながら お顔の筋肉と滑舌のウォーミングアップをしながら 通っています。
子供たちが同じ学年だったわけでも無く 遠からず近からずのご近所で ワンコ同士は、一緒に散歩を〜と言う感じでも無くて 互いにワンコが嫌いな変わり者ながら 相手の名前と私たちの顔を結び付けていることは同じ様子で お互いのオバチャンが好きです。


私の誕生日の日は、県内の多くの高校での卒業式です。 今年は、娘の卒業式でした。 勿論、2年前の息子の卒業式も同様でした。 息子の高校は、工業高校は、前日に リハーサルを兼ねて各種表彰式を済ませてしまっていました。 ですから早々に表彰された楯や賞状などは、いつものレスリングの試合の後の感覚で 「貰ってきたよ〜!」と 折角頂いた物ながら 本人もケロッとしていました。 最優秀スポーツ功労賞は、アメリカ遠征をさせて頂くだけ頑張っていたので 本人も「貰ったよ〜」だったのですが、もう一つで名前を呼ばれた時には、「俺、何か悪いことしちゃったっけ?」と驚いて なかなか立ち上がらなかったら叱られたそうでしたが、レスリング入賞と ロボコン入賞と 大学進学と「先生方を楽しませてくれた〜!」という事らしいのですが、理数科の功労賞を頂いていました。
そんな息子とは打って変って 娘の方は、表彰されない様に 目立たない様に 自分の好きな事を貫きとおした6年間でしたが、礼拝形式の卒業式の中でも 各種表彰者の名前が読み上げられて 壇上には絶対に上がりたくない… 筈だったのですが、「皆勤賞授与。代表〜」と 出席番号順で1番となって仕舞って 上がることとなりました。 絶対に前日まで「誰か代わりの人に…」と ごねた事が想像つきます。 表彰式そのものは、レスリングの試合で慣れているので 堂々としていましたので 茶話会の時に 校長先生から「いつも凛々しいのよ〜!」と言って頂きましたが、「いや、少々は痩せはしましたが、筋肉がついているから 肩で風を切って仕舞っているだけです…」と そんなことを繰り返してお話をしました。


そんな嬉しい事の続く春には、嬉しい事が、沢山続くものです。 このブログを見つけて呼んで下さった方が、「亡くなった母の使っていた 小さなピアノなのですが、何方か お使い下さる方にお譲りをしたいのですが?」と お電話を下さいました。  以前に ご紹介をしたことがあります、福山ピアノのミニピアノです。 1台は、現在では知人のお店で 可愛がって貰って居る事をお話して 比較的にお近くのカトリック教会へ 修理の仕事で行く予定があったので ピアノを拝見しました。 「小さな古い教会のリードオルガンと並べたら好いだろうな〜♪」と思いましたら お母様は、このピアノで讃美歌を弾かれていたのだそうです。 明日 そのプロテスタント教会へ伺う用事があるので お話を進めてみようと思って居ます。
丁度、そんな時に 千葉県に住まわれていた亡くなられた妹さんが弾かれていたピアノが、内部をメンテナンスして 外部もクリーニングされたピアノが、修道院へと寄贈されたばかりで 移動調律をさせて頂きました。 洗礼は未だに受けていませんが、カトリックのミッションスクールで過ごした経験もあってでしょうか!? 不思議と教会へお伺いすることが多いので 感謝しています。 再来週も 教会のグランドピアノの調律の予定があります。 


調律師も業界でも 昨年度から「国家検定」の制度がスタートしました。 元々 《㈳日本ピアノ調律師協会》の入会審査を経て 文部科学省公認調律師ではありましたが、改めて テストがスタートしました。 1期目の山梨県内での合格者は5面だったそうですが、その中で 唯一の女性出逢ったという事から NHK甲府放送局の夕方のニュース番組《まるごと山梨》の中の特集としての《がんばる甲州人》への取材依頼のご連絡を頂きました。 
レスリングや 趣味などでは、取材を受けた事はありますが、仕事のこととなると 編集次第では、ライバル意識を持つ地元同業者からのLクレームが入る可能性もリスクとして伴いますし 残念な事ではありますが、「田舎者だよな…」と子供たちにまで言われて仕舞う様な 大人げない発言を 私にではなく 我が子たちへ浴びせる 私の仕事を知らない大人たちもいます。 ですから少々はぐらかす様な感じで 担当の方のお話を伺ったのですが、とても熱心にピアノ調律師の仕事に興味を持って下さっていることを感じましたので 一度お会いして お話をすることとなりました。 色々とお話をしていると 息子が生活をしている場所で暮らした経験のある肩でしたし 「NHKっぽくない感じの人」と感じた通りで ユニークな経歴の方でした。  編集もすべてをお任せ出来る方だと思えたので 知人のお宅へ伺う前に 取材の同行をお願いをして その他にも 私らしい調律師の姿を取材して貰うに当たって ピアノを所有されている方々にも ご迷惑をお掛けしない様な環境の場所へ 取材協力のお願いをしました。
結局、一応は 無事に放送されたのですが、可なりのハプニングとなり NHKの一部の職員の方々は、驚かれた事と思います。 編集内容も 私が想像もしなかった纏め方をして下さって 彼の作品として ニュースの一コマとでは無く アナウンサーの名前ばかりで無く 裏方で取材編集〜と番組を作っている人の名前を入れるべき!と ご意見させて頂く以外にも ちょっとありまして…。 未だに「放送日はいつなの?」と お問い合わせがありますが… 既にタイミングが悪い状態で放送されてしまって 結果としてDVDを10枚頂いたのですが。 そのお話は、又 後日。

早々に 大学のオリエンテーションを兼ねた講習会に参加する為に 3日に娘の本格的な引越しをしました。 16年前の同じ日に 山梨へ引越しをしてきました。 早いものです。  引越し先は、近いと言えば近いので 緊張感が無くて 日常使っているものを忘れて行ったりしたのですが、未だ手続きなどもあるので 平日に娘の元へと行く予定ではありますが、おいおい…です。
自分の事で 何かと慌ただしかった娘が、家を出る前日に 「誕生日のプレゼント」と 1日遅れのプレゼントをくれました。 娘らしい色遣いのバレッタをくれました。 

大学の授業で ピアノのレッスンもある娘なので 《39》と刻印された アップライトピアノハンマーヘッドで 記念にキーホルダーを作って上げました。 
約1年振りに レスリングの道場へ立ち寄って 監督はじめOBのお兄ちゃんたちや幼馴染の様な在校生に挨拶をしてから 引越し先へと向かったのですが、ずっとご無沙汰をしていた娘なのに 「居なくなっちゃうなんて 淋しいな…」と言ってくれる人たちが居てくれることは、娘も想像以上に感謝して居る事と思います。 始めてレスリング道場へ行った時は、未だ小学4年生でしたから。 金メダリストの米満くんが、倉谷くん、矢崎くんと共に 高校生でしたからね!!

ブログが切っ掛けで 素敵なピアノのお写真が届きました!!

立春を迎えて 暖かくなってきましたが、先日の雪で また銀世界に逆戻りです。 特に 1日以上の雪が降る前は、数多くの様々な野鳥たちが、餌を食べにやってきます。 餌の争奪戦となって その様子をしばらく眺めていると 同じ種類の鳥たちでも順位があったり 性格が全く違っていて個体識別が出来るようになります。 別の種類の鳥同士でも 身体の大きさに関係無く 知恵と根性のある鳥が、多く餌を食べています。
ちょっと神経質なメジロですが、ミカンが大好きです。 それでも慣れてきた様子で シジュウカラ達が居なくなってから 長いこと居座っての朝食を楽しんでいました。

年度末を前に 皆さま、何かと慌ただしいことと思います。 
特に 気ぜわしいと言いますか、ソワソワしているのは、受験生とそのご家族だと思います。 このところ続けて 嬉しい報告が届いています。 チビッ子レスリングで 小学生の頃から頑張ってきている中学生が、「今日 無事に高校からの入学の内定を貰いました!」と 車を運転して移動中の 私の携帯電話に留守録を入れてくれましたので 車が止められた時に お電話をしました。 嬉しさと 早くも入学のドキドキでしょうか!? 複雑な声で 電話に出てくれました。 ご家族もホッとされて「やっとスタート地点に立てました!」と 安心と期待詰りの 喜びの声が聴けました。
お客様からも 「お陰様で 高校に合格しました。 学校を見学に行ってみると自然と方向性が決まる〜とアドヴァイスを頂いて 学校を見学して本人が、進路を決めて 頑張りました!」と ご連絡を頂いています。 ご丁寧に 嬉しいお知らせを頂けることは、毎年のことながら とても嬉しい事です〜

昨年末に 嬉しいメールを海外から頂きました。 更には、年明けには、お電話を頂いたのですが、ご縁があって ご友人の倉庫からご自宅に移動された古いピアノが、100年ほど前のものとのこと。 古いピアノについて 検索をなさっていたら 私のブログがヒットしたそうです。 ご出身が、長野県とのことで 『懐かしい風景を見せて頂きました。』と 嬉しいお話でした。
  

パソコンのアドレスを通じて どの様なピアノなのか? お写真を添えてお伝えくださり ピアノのブランドや どの様な内容のピアノなのかを 私が調べられたり 判る範囲で お伝えしたところ この様にブログへの掲載の許可を頂きました。

1800年代末に作られた ロンドンの【W.H.BARNES】と言うブランドのアップライトピアノです。 1828年に創立されて 1937年までに 製造番号45860番を作っているようですが、その頃が最盛期だったようです。
このピアノの構造は、このブログで 既に何度も取り上げていますが、オーストリアで作られた【ラハルス】と言う1865年製のアップライトピアノよりも現代のものへと近づいています。 どちらも丁度 アップライトピアノが、技術的に 大きく姿を変え始めた時代です。
 

アップライトピアノそのものの進化は、主にアメリカです。 そして 産業革命で 最も技術革新が、早かったロンドンで このピアノは作られています。 当時既に量産体制に入っていたブランドも 可なりあったようです。  そして直訳すると「アップライトピアノの 総鉄骨で 3本弦 アクション」と敢えて書かれています。 鉄鋼技術や 物理的に 様々な思考を巡らして より優れた楽器作りを目指していた時代なので 多くの特許が、出願されていた時代でもありますし 特許までには至らずとも 様々な工夫が凝らされている事枝をアピールしています。
1900年から 国産1号として売り出されたYAMAHAのアップライトピアノも はじめの内は、アメリカのアクション部品を使っていて 現代の多くのアクションとは、ちょっと違いますが、殆ど 現代のピアノに違いシステムです。
そして このピアノは、贅沢にも 白鍵として 貝 が施されています。 かつての鍵盤は、チェンバロの様に 現代とは逆の色遣いの黒鍵と白鍵でした。 その名残でしょうか!? 白鍵だけで無く 現代の黒鍵と呼ばれる鍵盤までもが、白です。


《オーバーダンパーアクション》と呼ばれる 弦の振動を止めるダンパーが、現代のものの様に アクションの向こう側についているのでは無く 手前側から被さるように作られています。
そして 弦振動の範囲を決めるベアリングと言うものが、オーストリアのラハルスは、上下共に ピンに引っ掛ける様にして 左右にクランクを着けてあるのですが、このピアノは既に 現代の様に 《プレッシャーバー》という金属の棒で 上から押さえつけて 上下方向(手前方向こう方向)にクランクを付けてあります。 現代のアップライトピアノの低音弦は、《交差弦》と呼ぶ、低音弦を長く張って 重量を重くして 低い音を出しやすい工夫として 中音へ向けて 上側を通して 斜めに張ることをしていますので 低音弦の箇所だけは、左右のクランクを付けてあります。


この頃までのピアノは、《平行弦》と呼ばれる全ての弦が、真っ直ぐに上下方向に張られているので 低音弦の箇所も 中音以上の弦同様にプレッシャーバーで 此方側から向こう側へ押しつけてのベアリング効果を使っています。
ラハルスは、全ての弦の先が、ループと呼ばれる輪っかが作られていて それぞれのピンへ 1本ずつが貼られていますが、このピアノは 現代のピアノの様に ピンに引っ掛けて Uターンをさせて 1本の弦を 2本分として使っています。

お写真を送って下さった方のお話では、弦が随分と切れて仕舞ってはいるものの 弾いてみると 現代のピアノとは違った 個性的な音色がするそうです。  アンティークオルゴールが、金属のディスクやカフスや櫛歯で音を奏でているのに 近々と硬い音がしてこない理由と 同様の要素を多く含んでいるからだと思います。
人間の思考の転換やひらめきが、感じられる 貴重なピアノです。
遠く離れた場所ではありますが、 この様に ユニークなピアノの様子をお届け下さり 感謝しています。 工具と部品とパスポートを持って 飛んで行きたいものです〜♪  

2013 今年も宜しくお願い致します。

新春のお慶びを申し上げます。
皆さま、なかなか更新をしない無精者ですが、本年も宜しくお願い致します。
ブログ更新が滞って仕舞います理由は、写真を撮ることを忘れた… でして 昨年も 個人で 細々と仕事をしている私を呼んで下さるお客様との出会いに恵まれまして ユニークなピアノ達との出会いが在りました。 ご縁とは不思議なもので 距離では無くて 繋がりなんだと 実に考えさせられるような出会いが多いです。 現在の愛車アヴェンシスとも 不思議な出会いでしたし アヴェンシスに乗るようになってから これまで以上に行動範囲が広がりました。 1台、1台のピアノと向き合える時間とスペースを整えて下さるお客様に 感謝しています。
ノエルを探してて♪
《成人式》です。 早いもので 我が息子も 再び帰省をしての出席です。 特に記念写真を撮る様な事もしませんが、家を出ていて 帰省しての出席は、本人の心の中に 残る想い出もあると思いますが、これからの精神的な成長の節目の時となると思います。  大学生ですが、入学早々からプレゼンテーションのトレーニングなどもカリキュラムに有るので これまでの息子のプロセスや性格から考えても 恵まれた環境へと進めたのだと 改めて思います。 アパートも 大家さん御夫妻のお人柄で選びました。 離れた土地で 良い方々との出会いにも恵まれています。
出逢いと言えば、このブログを 《古いピアノ》の検索の中で見つけて下さった方が、海外にお住まいですが、帰国された時に お電話を下さいました。 残念ながら 携帯のディスプレイ表示枠内に収まらない番号だったので 未だにご連絡を差し上げていない不届き者の私です。  でも とても嬉しかったです!

家族の誰かが、何らかの節目を迎える時には、家族のそれぞれにも 良い刺激となりますね。 私自身も 一足早く「子供たちが手を離れたし〜!」と これまでに出席できなかった事業や研究会などへの参加を増やしつつあるこの頃です。
毎年、新春コンサートの仕事と重なって 出席をしたことが無い ㈳日本ピアノ調律師協会関東支部の新年会ですが、今年は 女性支部長誕生記念、その他 一般法人への移行など 様々な節目の時でもありましたので 市ヶ谷での会へ出席しました。  日頃は、なかなか会えない先輩方や 各班に所属されている皆さんと 同業者同士での会話が出来る貴重な時です。 お顔と名前が一致しない方々もあったりしますが、名刺交換をして ご挨拶をすると 業界は狭いので 必ず、共通の知人はあるもので 会話が楽しくなります。  新しく渋の事務に入られた職員の方とも会えて 一緒にゲームを楽しみました。
樽酒がふるまわれて テーブルを離れてお喋りをしているうちに 限定30個の枡が配られたのですが、チャッカリと横取りをしてきました。(るるる〜♪のオジサン調律師、有難うございます。)  樽酒が、飲みきれないので ペットボトルで配られましたが、鞄を持たない男性陣は 「折角貰ったけれど ポケットに入れて歩くのには重たいから 持って帰れ。」と渡して下さいました。

新年気分は、まだまだ色々な所で楽しめまして 昨年春からはじめたテニスへも 練習はじめに 友人と共に行ってきました。 年末に雪が降ってからずっと冷え込んでいて インドアのコートなのですが、ゴムのテニスボールが弾まなくて 打つ方も 受ける方も 距離感覚が可笑しな事になって仕舞って サーブを打てば、ラケットへの当たり所が悪くなかった筈なのに 不思議な破裂音がする有様でした。 2週間の運動不足で 身体もコチコチに固まって仕舞っていましたが、楽しいコーチと スクールの皆さんとの練習で 身も心も解れた感じで コーチも『練習はじめが、可笑しくって良かった』と 技術面以上にメンタル的な笑い話になりました。

毎年、お年賀を準備する市内白州町にある《金精軒》http://kinseiken.co.jp/ で 美味しいどら焼きを買いました。 大吟醸カステラなどは、酒糟が足りなくなって仕舞う程の売れ行きで 年間を通して商品を観ていると その時々に使われている県内の私が大好きな地酒の銘柄のシールが貼られています。 これは お酒が苦手な方や 小さなお子さんがいるお宅へは配れないので 今回は、どら焼きにしてみました。
一旦、大学が始まる為に帰る息子が、駅の売店を眺めていて『信玄餅、買ってくれないかな?』と言い出したのですが、数が多いので 『部員に配る数だけ。』と可なり重たくなるので 金精軒へ行きました。 本店はとても古い作りの昔ながらの店舗で 2Fをギャラリーとして開放されています。 草木染の織物などの展示販売をされていたので 何と無く会談の上を見上げると、『あの〜 あのカバーが掛っていうものは、若しかしたらリードオルガンではないでしょうか?』と お会計をしながら尋ねてみると 『なんで分るんですか〜〜!』と驚かれました。  ギャラリーを拝見しつつ リードオルガンも見せて頂きました。 音が出るのかどうかまでは、お客様が沢山いらしたので 確かめませんでしたが、とても綺麗な大切にされてきた様子が判るリードオルガンでした。  新年早々から こんな風に古いものと出逢えると おみくじの大吉を引いた気分です!
と ここまで書いた今、息子へのお祝いを届けに 子供たちも小さな頃からお世話になっているオルガンビルダーの奥様がいらして下さいました。  更に オルガニスト・森武靖子さんhttp://www15.plala.or.jp/moritake/の新作のCDを届けて下さいました。【〜人力ふいごを用いた全曲収録〜J.S.バッハ『オルガン小曲集』】ですが、SDA立川キリスト教会のパイプオルガンで録音されています。 このパイプオルガンを製作中に 搬出前と組み立てられてからを観ていますが、何かと 私にとっても転機の時でした。  お正月にお会いした時にも 主人の母校のパイプオルガンの話題になって 懐かしい音楽授業を担当されていたオルガニストの先生のお話に至ったばかりです。

新年早々に 新しい工具を入手しました。 以前から欲しいと思って居たものなのですが、『手が小さくて握力のある私でも使い易い工具』と言う事で チューリップウッドと言う加工していると香りの良い材質で作って頂いたものです。 本当はもっと紅白がはっきりしていて 美しいです〜♪  アップライトピアノハンマーヘッドは、一般的な工具だと スペースが狭すぎて 手を入れられない箇所を狙って 作業できるものです。 未だ 使ってみてはいませんが、嬉しいものです。
この工具を注文した時に『山梨で新年会を遣るのですが〜』とお話をしたらば、『じゃあ、その時に届けるよ!』と その他のHandmaidの優れもの工具の数々を携えて 遠路遥々とお出掛け下さいました。  その新年会も『たまには山梨で 何かやろうか〜?』と言い出したことから始まって 『11日なら大丈夫だけど?』『じゃあ、1月11日ね!』と 簡単に決まりました。  しかしながら『なんで新年会を山梨でやるの… 他の日は無いの…?』との 参加できないよ…参加希望者からの嬉しい声も上がったので 『口実作って下さい、企画します!』と 懐かしくもイベンターになりつつあります。
「数人が集まれれば、それだけでも面白いよね!」と企画したものでしたが、10人となり 当日には12人が集まっていました。 更に 山梨のワインで酔払いながら 数々の工具を弄り始めたらば、『ピアノが欲しいよね…』と 完璧にマニアの世界へ飛んでいました。 次回は《桃の花見&ワイナリー巡り&温泉&工具大会》という事で 言い出した皆さん方に ピアノのあるスペースを貸して頂いて 花見宴会を考えています。  その前にも 他の班で企画されている工具作り研修会へも参加予定です。  誰かが言っていましたが、『工具って 使っている人じゃないと作れないし 作れば使えるようになるもんね〜!』と 各自が工夫している工具自慢大会にもなりました。 

晴れると こんなにも青空が映える風景ですが、今日は雲が厚くて 生暖かい氷点下の外気温なので 今夜から雪となりそうです。  やっぱり成人式って 雪の得意日!?

ヤノマミ

ヤノマミ

いつもの如くに並行読みをしていますが、Facebookで知り合った方からのお薦めの本をゆっくりと読み込んでいます。  この本は、急いで読んでは勿体無いなと思う1冊で、感覚をイメージしながら読み進めています。  読みたい本が積んだまま。 読まなくてはならない本も 沢山。 幸せな話です。
今年も宜しくお願い致します。

X’masの月です〜☆

12月に入った途端に 西高東低の典型的な冬型の気圧配置となった天気図を 毎日小まめに観る様になっています。 今年のお正月も とても冷え込んで ピアノ達の様子が大きく変化して 驚かされる事が多々ありましたが、「未だ同じ年の内に この様な天気になるとは…」と低く重たいグレーの雲を見上げつつ 降ってくる雪を眺めます。
我が家のシンボルツリーの樅の木も 早くもホワイトクリスマスを連想させるような姿となっています。 葉が茂っていて 適当に雪が覆った事で 天然のかまくらの様になり 夜は野鳥たちを守っている様です。

いつもの年は、12月の中旬に冬用のタイヤへ履き替えるのですが、今年は12月に入って直ぐに履き替えて良かったです。 先月の末の木曜日に 中央自動車道路を埼玉や東京のお客様のお宅へ伺う際に利用しましたが、帰路 結構な降りかたをする雨に遭い、溝の減った夏用タイヤだったので 水はけの事も心配しつつ 途中での雪にならない事を願いながら 無事に帰ってきました。 
それから3日後の日曜日の朝…。 甲府盆地の端の東に位置する笹子トンネルが崩落しました。 その日の朝は、友人が生徒たちの引率で 千葉へと通過していたので 事故に遭われてしまった方々のことが、人ごととは思えません。  
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。そして管理する立場の人たちには、この事をかみしめて頂いた上で 2度と起こらない様に プロとしての自覚と 勉強する心の向上を望みます。 

早々の雪景色に驚きつつも 久し振りなので 喜ぶNOЁLです。NOЁLとは フランス語でクリスマスを意味します。 この後、数cmの積雪でしたが、ラッセルしながら 食べていました。 雪が降る前になると 庭の餌場の向日葵の種や ミカンをついばみに ヤマガラシジュウカラメジロがやってきます。 その忙しい動きの様子で 雪の降る量も見当が付きます。 

昨年は、3,11震災などの影響もあって これまでとは違った仕事の流れでしたが、今年は今年で 中国との摩擦の関係や 笹子トンネルの事故の影響も少しありますが、 年末に向けて そしてX’masに向けての準備などが、始まっています。  仕事だけでは無くて 色々な意味でのX’masの準備もあって 知人の革製品のお店《ボンファイヤ》http://hotpepper.omisenomikata.jp/station/61925/c6209/へ立ち寄ると『寒いですね〜。コーヒーを飲んでいく時間ありますか?』と 入れて下さったのが、こちら!『これじゃ…飲めないよ〜(笑)』と頂く前に 本物のくるみちゃんとワンショット。 

標高1300mを超える場所は、朝夕の外気温が0℃を下回りつつあります。 夜間は 誰もいなくなってしまう建物の内部は、いくら断熱効果の高い工法であったとしても 建物そのものが冷え切って仕舞って 酒類の瓶でも凍って割れます。 詰まり、そんな環境にあるピアノ達もいるのです。 別荘は、完全に人の気配が無くなるわけですが、その間は 外気温の上下に伴って 屋内も変化しますから 楽器への影響は、比較的に少ないもので済みます。 しかしながら店舗などでは、ヒーターやエアコンなどの使用によって 急激に変化するので ピアノの置かれている場所の広さなどを含めて 環境を 仕事をしながら観察して行きます。
こちらのスペースは、今年になって 空間を区切るドアが付けられました。 それによって 夏の湿度が高くなった時には、それまでには見せない表情を表して 「どうなっちゃうのだろう…?」と心配されましたが、何とか無事に 1つずつイベントをこなしてくれました。 急激に冷えてきてはいますが、夏場に暴れた分だけ ちょっと大人しくなってくれました。  『薪ストーブが暑すぎるのかな?』『空調ダクトの位置が、悪いのかな?』と スタッフに心配して貰っている分だけ 可愛がられているので 薪ストーブは残り火と余熱が、急激に室温を下げる事は無いので 人体への健康も考えて 湿度を保てるように工夫する方法を幾つか提示しています。
人との時間を多く過ごせるピアノ達は、変化が起きても 大事に至り難いので 助かります。

こちらの山梨・長野県は、一般家庭でも 特殊な環境の高地寒冷地ですし 土地の使い方など 関東平野の環境とも全く違います。 家全体を暖めるために 乾燥も異常なほどまでに起きてしまって 20%を下回りますから お洗濯ものを干したり 観葉植物を置くなどの工夫をお願いします。 その様にして行かないと インフルエンザなどにも掛かり易くなってしまうので 『楽器は生き物ですから 難しく考えすぎないで ご家族の皆さんが生活をしやすい環境を整えると 自然とピアノへも良い事になります。』とお話をしています。  関東平野では、夏場の湿気や マンション北側の部屋の冬場の暖房の使い方などの対策やお願いを お客様へお伝えする内容も多々ありますが、日常生活においての 人の健康管理と同じように 部屋ごとの寒暖の差をつけない工夫をされる傾向の昨今ですが、空間が限られている場合が多いですから お話しする内容は変わってきます。
調律師は、技術職ですが、 その技術を生かしてピアノを心地好く弾いて頂いて 響かせて貰い 聴く側の皆さんにも楽しんで頂けるために 色々な事を感じ取って 工夫して それをお伝えする為のコミュニケーションも大切な仕事の内です。
ブレイクタイムの時の お店のスタッフの皆さんとの僅かな会話からも ヒントを得る事もありますし 思考の転換をする為の大切な時間です。

日々、色々な場所へと移動するので 友人へのプレゼントや自宅用ワインを買いに 大好きなルバイヤートのワイナリーへ 少し前ですが、立ち寄りました。 

何時もは、メールにての注文でして その度に 御丁寧に社長の大村さんが、内容確認に加えてメッセージを添えた返信を下さることも ファンである理由なのですが、 あるお客様のお宅で 昨年まで行われてきたホームコンサートでは、ルバイヤートのワインへと変わる葡萄を作り続けて来られたご夫妻との出会いもありました。
ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

 
不思議なご縁在って ルバイヤートを知り そこから様々なご縁が、広がると言いますが、繋がっています。  ここでもそのワインが飲めるのですが、仕事の途中ですし 運転がありますから〜(笑)

ルバイヤートのスパークリングワインは、製造本数も少ないのですが、ファンも多くて 注文しそびれている間に売り切れてしまうので 今年は早々に 友人へ1本、X’mas様に1本、そして息子の成人式用に1本買いました。
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そして いつもプレゼントを買いに行ったり 美味しい紅茶を飲みに行くロプチュウでの社長の長谷川さんが『今年のシュトーレンは しっとりしていて美味しいよ〜!』と テニススクールでお会いした時に仰られたので 早速 帰りに買いに行きました。しかしながら1つ忘れたものが… チャイ用の紅茶葉。 ミルクで煮出す本格的なスパイスブレンド紅茶で ホットでもアイスでも美味しいのです。 
不定休日な自分の仕事ではありますが、出来るだけ曜日変更も含めてテニスに通って 日ごろ使い難い筋肉を動かして 仕事で鍛えられてしまって居る筋肉を解しながら運動不足を解消して ホットチャイで 寒い冬を乗り越えます!
本格的な冬になったら 読書に耽りたいな〜♪
のぼうの城 上 (小学館文庫)

のぼうの城 上 (小学館文庫)

のぼうの城 (下) (小学館文庫)

のぼうの城 (下) (小学館文庫)

只今、眠る前に読みはじめた本です。 埼玉県では 毎年 この部隊のお城で お祭りが行われています。 戦国はじめ歴史物は、土地勘があると とても楽しく読むことが出来ます。
工具屋さんへ 工具の注文をしつつ 英文の専門も新たに頼んであるので 冬眠しながらの読書が楽しみ〜 と思ったらば、この冬は その時間が無さそうです。 そのお話は、また後日。
北半球そのものが寒さに覆われているそうですので 師走の忙しい時でもありますから 皆さま、お身体に気を付けて お過ごしください。

子供たちに囲まれている 昭和8年生まれ《根津さんのピアノ》

今年のカレンダーも 残り 1枚となりました。
クリスマスのお祝いに向けて準備され始めた方や アドヴェントカレンダーをめくり始めたお子さんもいらっしゃることでしょう〜☆
少し前ですが、御茶ノ水にある㈳日本ピアノ調律師協会での研修会へ出席した際に 久し振りに会った方から『古宇田さんのブログ、呼んでいますよ〜♪』と声を掛けて頂きました。 確かに同業者に読まれていることを自覚しつつは書いていますが、恥ずかしくもあり 「ボケた事、書いてないかな…」「偉そうに 間違った事を書いていないかな…?」と再確認出来る時でもあるので 嬉しいものです。

段々と空気が冷たくなってきました。 と言うのを通り越して 寒すぎるこの頃です。 そのお蔭で 晴れれば、この様に見事な姿の富士山を眺められる楽しみや 星の数が多過ぎて 目が廻って仕舞いそうになるほどに 夜空へ吸い込まれていきそうになります。
そんな平和な天候ならば素晴らしのですが、今日は 朝から強風と共に 怪しいダークな雲が、西の空を覆い始めて 黒猫のドロップが、何やら白くなって戻って来た位に 霰が降り始めて それから雪が舞い始めました。 雪が舞う事は 遠くの山の上に降ったものが飛んでくるので 11月にもなれば 度々ありますが、今日は『明日、車出せなくなるかな…?』と心配が過ぎって 急いでスタンドへ 冬タイヤへの交換予約を入れて 作業して貰いました。 その間、幾つかのメールが届いたのですが、『只今 タイヤ交換作業中!』『タイヤ換えた?』ばかりで 可笑しかったです。 

今年の春、自宅での修理作業を進めていた時に 何と無く聞いていたFMラジオから『リスナープレゼントは、硬式ラケット、1名様です!』という声に 俊敏に反応してしまって 急いでPCを起ち上げて 応募してみると してみるモノです!! 次の日に花束をペッチャンコにしたような不思議な形のものを抱えて『FM-FUJIさん、からです〜♪』と佐川急便のお兄さんが、届けてくれて 玄関先で 『珍しいじゃないですか!リスナープレゼントの当りを届けられるなんて〜!!』と一緒に喜んでくれたことは既に何度も このブログでもご紹介しましたね。
そのラケットが切っ掛けとなって 市内に インドアのオムニコートがあることが分り 月2回コースのレッスンを開始しました。 コートに立つのは 15年振りで はじめの3か月ほどは、自分でもどうしょうも無いな…と呆れる程でしたが、段々に感覚が戻ってきました。 と言っても まともにゲームになる程ではないです。 それでも 身体を動かして レッスンでご一緒させて頂いている皆さんと お喋りをして 大きな声で笑い合ったりできる事は、とても楽しいものです。 定休日が作れないのですが、「この日は、テニスに行こう!」と思える楽しみがあると 色々な事が頑張れるようにもなります。

子供たちの学年が違っていたり 互いに仕事を持っているので 誘い合ってランチに行ったり お茶をする訳では無いものの 会えば立ち話が楽しめる友人に『インドアのテニスコートがあったんだよ〜〜!!』と話すと 『お試しできるかな?』と 早速、体験に来てくれて 同じ日に行ける様に互いに調整をしつつも それぞれがマイペースで行ける日に通う様になりました。

とんぼ

食べログ とんぼ

洋風厨房 のんき

食べログ 洋風厨房 のんき

この辺りは観光地でありながら 住んでしまうと 意外と色々な場所に足を運ぶ以前に 「何があるのか?」に興味を持つ暇もないものなので 一緒にテニスへ行ける日には、テニスのショップを見に行ってラケットを選んだり ランチをする楽しみが出来ました。
そんな彼女が、テニスを始める前から習っていたものが、トールペイントなのですが、鞄からキーホルダーを取り出して 『親しい人たちへ上げているの。良かったら貰ってくれるかな?』と 渡してくれました。  私も「トールペイントを習ってみたい」と思っていた事があったので 手作りの作品を貰うなんて とても嬉しい事です!  『何年か経て 千葉の家へ帰ることがあっても 貴女なら 平気で遊びに来てくれそうだし 面白いよね〜!』『うん、成田どころか、水戸辺りの距離なら 日帰りで遊びに行くよ〜!』と 互いの子供たちの成長を実感しつつ 近い将来の話題にもなりました。
 

今日のピアノのお話は、これも又 随分と前になりますが、確か このブログでもご紹介したはず〜!?だと思いますが、ブログを始める前に出会ったピアノだったかな?と 記憶が定かではな無いのですが、市内の小学校で 毎日 児童の皆さんが、弾いてくれているピアノです。

作られたのは、昭和8年。 東武鉄道の事業に関わられたり 武蔵野音大のご近所にある 武蔵大学創立者根津嘉一郎氏が、昭和5年から8年に掛けて 山梨県内の200校もの小学校へ ミシンや顕微鏡と共に贈ったピアノの1台です。 《YAMAHA No.1》と言うピアノで 現在の小学生のお祖父さん、お祖母さんに当たられる世代の県内の方々は、皆さん この《根津さんのピアノ》の伴奏で 唱歌を歌われています。 「何故、200台ものピアノを〜?」と思う事もあったので このピアノと出逢った頃に少々調べましたらば、YAMAHAが多くの事業に参入して 少々、お金の回転が悪くなった時期と重なっていました。 所謂、救済処置の一つとして 根津財閥が、小学校への寄付を名目に 多くのピアノを買った様です。 当時は、未だ木造校舎出た事は言うまでもありませんが、多くのピアノ達は 校舎解体の時に 一緒に廃棄されたものが多いようです。
《根津ピアノ》
《根津さんのピアノ》では無かったのですが、同じ頃に作られた 《YAMAHA No.100》と言うピアノが、20年程前に廃校となった山の中の分校にあったのですが、村の方々が見守る中で 重機で一気に公社が壊されていったそうですが、2階の壁が剥がされた時に ピアノの姿が表れて 慌てて皆さんが2階へ駆け上がって 10人掛かりで 必死に下して来たというピアノがあります。 そのピアノは埃が舞い上がらない様に 放水しながら作業を進めて居た為でしょうか、水を被ったとは思えない程に綺麗な状態で アクションなどの整備は出来たのですが、音を合わせようとした時に 「ん…?」チューニングピンが動かないのです。 様々な個所のピアンを確かめてみたのですが、動くものが見当たらない状態。 多分、チューニングピンを支えている【ピン板】が湿って仕舞って 打ち込まれているピンの箇所だけが、錆て 板に食いついて仕舞ったのだと思われました。  力尽くでピンを回転させた途端に 板が割れる可能性もあったので 状態を説明すると 『もう、綺麗な音には戻れないんですね…』と 残念そうに仰られたので 『言い方を変えると 廃校当時の狂ったままの音が、これ以上狂わない状態となっているので 音のオブジェと言いますか、モニュメントと言いますか、当時の記念の日の音のまま 保存できる訳です。』と お話をすると 『あ〜! ナルホド〜!!音が殆どそのままで残せる訳ですね!』と 皆さんの笑顔を観ることが出来ました。
《根津ピアノ》
さて、《根津さんのピアノ》のお話に戻ります。 私が出会った時の《根津さんのピアノ》は、町の小さな資料館と言っても 殆ど倉庫のような状態の場所に置かれてありました。 『コンディションを見て欲しい。内容によっては、考えていることがあって』と 当時の教育長をされていた知人からの依頼でした。  見に行ってみると 外装の塗りが現代のものとは違ったことなどから 直ぐに古いものだと分りましたし 中を覗きこんでみると 誕生日を特定できる切っ掛けの一つとなる【製造番号】が、可なり若かったこともありましたが、至って健康そのもので 『古いピアノ、と言うだけで 使わなかったら勿体無いです。』と お伝えすると 『じゃあ、元々小学校に有ったピアノだから 小学校に置いて 「資料の活用」という風なことが出来るのかな?』と尋ねられました。 確かに 資料館に置いておくことで 傷まない資料は数多くありますが、『ピアノは楽器だから 弾いてあげないと 買えて傷んでしまったり 可愛そうです。』と言うことから 出来るだけ当時の部品を残したまま 必要な作業をして 児童の元へ届ける事となりました。

このピアノが、資料館へ入った理由は、映画《トイレの花子さん》などのロケ地ともなった廃校となった木造の学校舎が、東村山市の保養所となって 古いままの校舎と共に 当時の多くの備品が、そのまま使われていました。 老朽化が激しくなった為に建て替える事となって その時に『もともと町のものだったんだから』と 金文字で書かれた文字があったピアノだった為に 資料館へと運ばれたそうです。 「このピアノの昔の姿の記録が無いかな?」と探してみると 知人たちからの情報提供があって 校舎解体3日前に 内部なども撮影されていらした方と出逢うことが出来ました。 VHSテープには、1階の音楽室に有ったアップライトとは別に 2階の図書館だった場所に 学校教材用のオルガンと共に並んで映っている姿があり 貴重なテープをお借りして CD-Rに焼き直しました。

そんな事も 必要と思われる修理作業を進めながら 仕事で移動した序に足を運んで進めて行った事を知って下さった 当時の教頭先生が、美術室で使われていなかったイーゼルを出して来て この様な素敵なパネルを作って下さいました。
校長先生が、『古いピアノが来るんだよ!』と 全校児童に お話をして下さったので ピアノ本体を搬入して アクションをセットしに行くと 『根津さんのピアノ、根津さんのピアノ〜♪』と 休み時間に作業を覗きに来たり 体育館へ移動する時に通りかかった児童たちが、鼻歌を歌っているのです。 『《根津さんのピアノ》って どんなピアノなのか、知っていたの?』と尋ねてみると 『うん! お祖父ちゃんと お祖母ちゃんが、「子供の頃に 学校に有ったピアノだよ」って教えてくれたよ〜!』と とても誇らしげに 教えてくれました。 児童たちの親世代は 触れる事が無かったことでしょうが、孫の世代となった時代に 再び、学校と言う現場に 職場復帰したピアノです。
ピアノが、小学校に美辞に入る日を待ち望んでいた児童たちは、当時の2年生3年生の幾つかのグループが、手描きのポスターを廊下に貼ったり チラシを描いて各クラスへ配ったりして 『○月○日の昼休み、コンサートを開きます』と 職員室にいらっしゃる先生方へも招待状を出して 頻繁に 小さな音楽会が開かれるようになったことを 校長先生、教頭先生はじめ 先生方(偶々だったのですが、当時の半分ほどの先生方は知人でした!)も 子供たちの自主的な発想と 接客なども研究して 工夫しながらの行動に驚いたそうです。
この春に卒業をしたNちゃんのお母さんと会った時に 『卒業式の時に 子供たちが合弾いているのを聴いたんだけど《根津さんのピアノ》って古いからなのかな?良い音がするのですね〜。驚きました!』と言って頂きました。 保守管理をして行く為の予算が、公的な場所だと 管轄が移動したことになるのか?等の引継ぎが行われていないままに人事異動が起こって仕舞うと どこへ見積書を送ればよいのか?を調べなくてはならなくて ピアノとはご無沙汰をしていたのですが、その言葉を聞いていたので 大きな心配はしていなかったのですが、 半分押しかけるような形で伺ってみると 当時一番弾いてくれていた小学校の2〜3年生だった子供たちは、既に高学年となっている訳で 家にピアノが無い子供たちも 興味をあれば、学校で弾いてくれているそうで 『壊れたかな〜?』とも言えなくも無い程に 弾き込まれていました!
県内に現存する《根津さんのピアノ》は、私が知る限りでは、10台に満たないのですが、大きなオーバーホールもせずに これほどまでに子供たちに愛されて囲まれているピアノも珍しいので とても嬉しいものです。  でも そろそろ又 ちょっと手を加えなくてはならないです。 それ程までに弾いて貰えることは 嬉しい限りです。

綺麗な夕焼けの日には、この様な富士山の姿が見られますが、この数日は 急激な天候の変化が激しいので なかなかお目に掛れない日もあります。
 
何かと忙しくなる師走となりました。 全国的に不安定で冷え込む日が多いようですので お身体に気を付けて お過ごしください。